2012年 07月 10日
福田平八郎展に行ってきた |
「福田平八郎と日本画モダン」展に行ってきた。
福田平八郎のことは、6月24日放送のNHK「日曜美術館」で初めて知った。番組で紹介された作品の中で、降っている雨そのものは全く描かれていないのに、「雨」という題がつけられた作品に特に興味をもった。展覧会での目玉もこの「雨」で、チケットにもその絵が印刷されている。
実物の絵は期待通り感動的なものであった。ポツリ、ポツリと降ってきた雨の滴が瓦の上に落ちた瞬間をとらえて描いたもののようだ。その着眼が特異である。瓦屋根の一部だけを切り取るという大胆な構図もそうだし、1メートルほど近づいても瓦の湾曲が立体的に見える写実力にも感動した。
福田自身は、絵をかくときまず見るのは対象物の「色」だと言っている。そのあとに形を見るという。それでスケッチも色鉛筆を使って描くと言っている。(会場の説明書き)
福田の作品が中心であるがそれ以外にも、小林古径、川端龍氏、奥村土牛、上村松篁そのたの著名な日本画家の作品が展示され充実した展覧会であった。
ただ、どの作品もガラスの額ごしにしか観られないのは残念なことである。何十年経った作品でも、直に見れば絵の具の匂いや、花なら花の香りも伝わってくるような気がするものだ。自蔵品ではなくその展覧会のために他所から借りてきたものであるということで、やむをえないことなのか?ルーブルでもプラドでも額にガラスはなく直に展示している。それらを借りてきて日本で展示するときはガラスごしになるのも同じ理由なのだろう。たいていの場合ガラスに、照明によって生ずる微妙な影が反映することになる。関係者は神経を使っているのだろうが、観る者には興ざめである。
~ ~ ~ ~ ~ ~
Wikipediaより抜粋
福田 平八郎(ふくだ へいはちろう、1892年2月28日 - 1974年3月22日)は、大分県出身の日本画家。
号は素僊(そせん)、九州。印に「馬安」を用いるが、父・母の名前にちなむ。
鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされる。生涯「水」の動き、感覚を追究していたとされ、「漣」は昭和天皇と一緒に魚釣りに行ったときの、池面に映る水面の模様を描写した作品である。
福田自身は、絵をかくときまず見るのは対象物の「色」だと言っている。そのあとに形を見るという。それでスケッチも色鉛筆を使って描くと言っている。(会場の説明書き)
福田の作品が中心であるがそれ以外にも、小林古径、川端龍氏、奥村土牛、上村松篁そのたの著名な日本画家の作品が展示され充実した展覧会であった。
ただ、どの作品もガラスの額ごしにしか観られないのは残念なことである。何十年経った作品でも、直に見れば絵の具の匂いや、花なら花の香りも伝わってくるような気がするものだ。自蔵品ではなくその展覧会のために他所から借りてきたものであるということで、やむをえないことなのか?ルーブルでもプラドでも額にガラスはなく直に展示している。それらを借りてきて日本で展示するときはガラスごしになるのも同じ理由なのだろう。たいていの場合ガラスに、照明によって生ずる微妙な影が反映することになる。関係者は神経を使っているのだろうが、観る者には興ざめである。
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Wikipediaより抜粋
福田 平八郎(ふくだ へいはちろう、1892年2月28日 - 1974年3月22日)は、大分県出身の日本画家。
号は素僊(そせん)、九州。印に「馬安」を用いるが、父・母の名前にちなむ。
鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされる。生涯「水」の動き、感覚を追究していたとされ、「漣」は昭和天皇と一緒に魚釣りに行ったときの、池面に映る水面の模様を描写した作品である。
by rakuseijin653
| 2012-07-10 20:36
| 美術
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