2012年 07月 11日
小林秀雄のこと |
30年ほど前に新聞の書評につられて、小林秀雄の「本居宣長」を求めた。爾来、“会社人間”として忙しく、“教養”を深める時間がなかったこともあるが、この大書をじっくり読むことはなかった。何度か挑戦したが集中力が続かないのである。退職後にまた書棚から引っ張り出して読み始めたが、どうも難解であり、基礎的素養がない者が読むことが間違っていることに気が付いた。小林の他の著作自体、まともに読んでいない者には、彼の“話法”にもついていけないところがある。
と言い訳をいったところで、加藤周一が、「私にとっての20世紀」(岩波書店)で小林を批判的に書いているのが目に留まった。“なるほど”と思われたところを抜粋してみる。
「本居宣長」は(小林の)最後の大作だけれども、あそこで逃げていることが二つある。
一つは、宣長の大学者としての面と、極端なナショナリストでデマに近いことを口走っていることの矛盾を採りあげて説明しようとしていないこと。
もう一つはお墓です。宣長が遺言してつくらせた墓は、一つは仏教寺院に、もう一つは神道式の墓がある。あれだけ神道を称揚し、仏教、儒教を排していた宣長が、なぜ仏教のお寺に祀られて、同時に神道の墓を別につくっているのか。小林さんはそれを両墓制を用いて説明している。しかし、それは間違っている。両墓制というのは、沖縄などにある古代神道の墓で、二段になっているもの。しばらく死者が留まるところと永久に行くところの二つの墓がある。両墓制というのは神道の中での二つの墓のシステムである。だから両墓制で説明することは全々意味をなさない。
(中略)小林さんの主観主義の結論の一つは一流主義です。例えば、宣長は一流の歴史家だという。小林さんはマルクス主義が嫌いだったから、マルクス主義の歴史家が書いたものについては「あんなものは歴史ではない」となる。では、新井白石はどうなのか、あるいは、「神皇正統記」の北畠親房、「愚管抄」の慈円はどうなのかとなると、みんな歴史家です。人からもらった議論をあてはめて、利口そうなことを書くような疑似歴史家とは全然違うと、小林さんはいう。それはそうだ。だけど白石と宣長とどこがどう違うかということは、小林さんの言説からは出てこない。
と言い訳をいったところで、加藤周一が、「私にとっての20世紀」(岩波書店)で小林を批判的に書いているのが目に留まった。“なるほど”と思われたところを抜粋してみる。
「本居宣長」は(小林の)最後の大作だけれども、あそこで逃げていることが二つある。
一つは、宣長の大学者としての面と、極端なナショナリストでデマに近いことを口走っていることの矛盾を採りあげて説明しようとしていないこと。
もう一つはお墓です。宣長が遺言してつくらせた墓は、一つは仏教寺院に、もう一つは神道式の墓がある。あれだけ神道を称揚し、仏教、儒教を排していた宣長が、なぜ仏教のお寺に祀られて、同時に神道の墓を別につくっているのか。小林さんはそれを両墓制を用いて説明している。しかし、それは間違っている。両墓制というのは、沖縄などにある古代神道の墓で、二段になっているもの。しばらく死者が留まるところと永久に行くところの二つの墓がある。両墓制というのは神道の中での二つの墓のシステムである。だから両墓制で説明することは全々意味をなさない。
(中略)小林さんの主観主義の結論の一つは一流主義です。例えば、宣長は一流の歴史家だという。小林さんはマルクス主義が嫌いだったから、マルクス主義の歴史家が書いたものについては「あんなものは歴史ではない」となる。では、新井白石はどうなのか、あるいは、「神皇正統記」の北畠親房、「愚管抄」の慈円はどうなのかとなると、みんな歴史家です。人からもらった議論をあてはめて、利口そうなことを書くような疑似歴史家とは全然違うと、小林さんはいう。それはそうだ。だけど白石と宣長とどこがどう違うかということは、小林さんの言説からは出てこない。
by rakuseijin653
| 2012-07-11 15:49
| 思想
|
Comments(0)