2012年 07月 14日
小林秀雄のこと(2) |
小林秀雄は、先の戦争の「戦争責任」に関して、「僕は無知だから反省などしない。利巧な者は大いに反省すればよい」と言っている。この開き直りの真意は何なのか。小林の作品を読んでいるとは言えない、したがって世間で文芸批評の大家と言われている小林という“人間”を理解しているわけではないが、そういう大家と言われる小林の発言であるので引っかかるところがあった。
別稿でとりあげた加藤周一の「私にとっての20世紀」(岩波書店)にそのヒントが書かれている。以下引用:
「歴史は個人がどういう体験をしようと、それを超えて進展するのです。そういう理解は小林さんにはない。だから、戦争のときにどっちでもいいということになってしまう。日中戦争が中国侵略戦争であるかないかということに彼は興味がない。興味があるのは、例えば自分を捨てて国に尽くすとか、その勇気とか決断力です。決断してどこに行くか、決断がいったい何を社会に、歴史に及ぼすかということにはあまり関心がない。決断そのものを評価する。それは、一種の美学だと思うけれど、小林さんの限界です。
(中略)
戦争と言うものを与えられた条件として受け取る。その意味では天災と同じです。そこで個人がどう対処するか、ことに私がどう対処するかという問題になる。しかし、戦争は天災ではありません。それは、ある歴史的な過程なのであって、日本の社会全体が戦争をつくり出しているわけですから、日本政府の行動に対して日本国民としての責任がある。」(強調は引用者)
要するに小林は、「文芸バカ」、すなわち文芸批評家としては秀でているが、思想的にはプアーであるということなのだろうか。文学は思想と無縁であるはずはないのだが。
最近で言えば、劇作家の山崎正和というところか。彼も劇作家としては優秀のようだが、9.11テロを「貧困によるもの」と見当違いの分析をして恥じなかった。貧困が原因のテロももちろんあるが、9.11はそんなものではない。世界の[歴史的な過程]が何もわかっていないのである。
別稿でとりあげた加藤周一の「私にとっての20世紀」(岩波書店)にそのヒントが書かれている。以下引用:
「歴史は個人がどういう体験をしようと、それを超えて進展するのです。そういう理解は小林さんにはない。だから、戦争のときにどっちでもいいということになってしまう。日中戦争が中国侵略戦争であるかないかということに彼は興味がない。興味があるのは、例えば自分を捨てて国に尽くすとか、その勇気とか決断力です。決断してどこに行くか、決断がいったい何を社会に、歴史に及ぼすかということにはあまり関心がない。決断そのものを評価する。それは、一種の美学だと思うけれど、小林さんの限界です。
(中略)
戦争と言うものを与えられた条件として受け取る。その意味では天災と同じです。そこで個人がどう対処するか、ことに私がどう対処するかという問題になる。しかし、戦争は天災ではありません。それは、ある歴史的な過程なのであって、日本の社会全体が戦争をつくり出しているわけですから、日本政府の行動に対して日本国民としての責任がある。」(強調は引用者)
要するに小林は、「文芸バカ」、すなわち文芸批評家としては秀でているが、思想的にはプアーであるということなのだろうか。文学は思想と無縁であるはずはないのだが。
最近で言えば、劇作家の山崎正和というところか。彼も劇作家としては優秀のようだが、9.11テロを「貧困によるもの」と見当違いの分析をして恥じなかった。貧困が原因のテロももちろんあるが、9.11はそんなものではない。世界の[歴史的な過程]が何もわかっていないのである。
by rakuseijin653
| 2012-07-14 12:26
| 思想
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