2012年 07月 18日
「こだわり」の本来の意味 |
今や自分でも意識しないで使っているが、「こだわり」という言葉が本来の語法と違った使われ方をしていると、松尾貴史氏がだいぶ前に朝日新聞のコラムで書いていた。また、その数年後、東洋英和女学院大学学長村上陽一郎氏も日本経済新聞のコラム「あすへの話題」で、この言葉をとりあげている。
それによると、本来は、「つまらないことにいつまでも拘るものではない」というように否定的な文脈で使われる言葉であったのだという。そういえば確かに昔はそのような言い方をしていたものである。今のように「材料にこだわった一品」などという言い方はなかった。
松尾氏が引用する「広辞苑」によれば、1991年版では「さわる、さしさわる、さまたげとなる」、「気にしないでもよいようなことにとらわれる、拘泥する」とあるのが、1998年版では、「些細な点にまで気を配る」、「思い入れする」という解説が加わっている。それを松尾氏は、“時代に媚びた表現”とまで言っている。
また松尾氏は、この言葉が褒め言葉として跋扈している風潮を嘆き、その発祥をテレビのグルメ番組にあるとする。インタビューを受けている職人などが卑下して、「こだわりですが」と言ったものをレポーターが「はあ、こだわりですか!」と絶叫し、いつの間にか便利な言葉となって伝搬したのではないか、というのである。この説に同感である。
言葉は時代とともに変わっていく、というのは事実であり、ほかにも本来の意味とは逆さまに使われている言葉も珍しくはない。だから、それを咎めてもしかたがないという言い方もできるが、気が付いている間はそれを修正する努力をしたい。それでも時代の流れの中で定着していくのであれば、最終的にはなるようにしかならない、ということなのだろう。
それによると、本来は、「つまらないことにいつまでも拘るものではない」というように否定的な文脈で使われる言葉であったのだという。そういえば確かに昔はそのような言い方をしていたものである。今のように「材料にこだわった一品」などという言い方はなかった。
松尾氏が引用する「広辞苑」によれば、1991年版では「さわる、さしさわる、さまたげとなる」、「気にしないでもよいようなことにとらわれる、拘泥する」とあるのが、1998年版では、「些細な点にまで気を配る」、「思い入れする」という解説が加わっている。それを松尾氏は、“時代に媚びた表現”とまで言っている。
また松尾氏は、この言葉が褒め言葉として跋扈している風潮を嘆き、その発祥をテレビのグルメ番組にあるとする。インタビューを受けている職人などが卑下して、「こだわりですが」と言ったものをレポーターが「はあ、こだわりですか!」と絶叫し、いつの間にか便利な言葉となって伝搬したのではないか、というのである。この説に同感である。
言葉は時代とともに変わっていく、というのは事実であり、ほかにも本来の意味とは逆さまに使われている言葉も珍しくはない。だから、それを咎めてもしかたがないという言い方もできるが、気が付いている間はそれを修正する努力をしたい。それでも時代の流れの中で定着していくのであれば、最終的にはなるようにしかならない、ということなのだろう。
by rakuseijin653
| 2012-07-18 15:19
| 言語(力)
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