2012年 07月 25日
いつの時代にも予言者はいる? |
原発国会事故調査委員会及び政府事故調査委員会が相次いで調査結果報告書を提出した。事故の直接原因を、地震によるものとする国会事故調とその根拠は不確かで津波によるものとする政府事故調の見解は分かれた。しかし、どちらが原因にしても、外部電源が失われ、それを補うべき非常用電源が喪失したことが大事故をもたらしたことは間違いない。
原発が、地震や津波によって外部電源や非常用電源が喪失した場合に大事故になることを“予言”し、警告を発していた学者や政治家はいた。
吉井英勝衆議院議員(共産党・京都大学原子核工学科卒)は、2005年から2007年にかけて、予算委員会で時の小泉首相やそのあとの安倍首相にそのことを質問している。それへの回答は、万全の安全対策がとられているので問題ない、というものであった。神戸大学石橋克彦教授も国会の2005年の公聴会で、「大げさではなく、人類がまだ体験したことがないような震災が生ずる可能性が非常にあると思っている」と証言している。
そして東京大学元教授竹内啓氏が、2010年9月17日、なんと3・11の丁度半年前に出版された著書「偶然とは何か」(岩波新書)の中で、原発のメルトダウンを想定した危機管理について、福島の事故を予言するかのようなことを述べている。
一部引用
「もしそれが発生すれば莫大な損失が発生するような、絶対起こってはならない現象に対しては、大数の法則や期待値に基づく管理とは別の考え方が必要である。例えば百万人に及ぶ死者を出すような原子力発電所のメルトダウン事故の発生する確率は一年間に百万分の一程度であり、したがって一年あたりの期待死者数は一であるから、他のいろいろなリスクに比べてはるかに小さい、というような議論がなされることがあるが、それはナンセンスである。
そのような事故がもし起こったら、いわば『おしまい』である。こんなことが起こる確率は小さかったはずだなどと言っても、何の慰めにもならない。(中略)なすべきことはこのような事故が『絶対起こらないようにする』ことであり、そのうえでこのようなことが起こる可能性は無視することである。このようにいうと、小さい確率であってもまったくゼロではない限り、それを無視するのは正しくない、したがって、巨大事故の確率がゼロであるといいきれない限り、原子力発電所は建設すべきではないという議論が出されるかもしれない。
しかし、個人でも集団、社会、国さらに人類全体でも、その生存を脅かすような危険性はいろいろ存在するのであって、それらの確率は決してゼロではない」「ある事象が起こる確率がきわめて小さくなるようにするには、いくつかの事象が同時に起こらなければその事象が起こりえないようにしたうえで、それぞれの個別事象の起こる確率を検証可能な小さい水準に抑えるようにすればよい。それは多重安全システムの基本的な考え方である。そうして一つの安全システムが失敗する確率が千分の一の互いに独立なシステムを四重に設けておけば、全部が失敗して大災害が発生する確率は一兆分の一となって、これは十分小さくて事実上ゼロといえるだろう」 ~ ~ ~ ~ ~ ~
原発が、地震や津波によって外部電源や非常用電源が喪失した場合に大事故になることを“予言”し、警告を発していた学者や政治家はいた。
吉井英勝衆議院議員(共産党・京都大学原子核工学科卒)は、2005年から2007年にかけて、予算委員会で時の小泉首相やそのあとの安倍首相にそのことを質問している。それへの回答は、万全の安全対策がとられているので問題ない、というものであった。神戸大学石橋克彦教授も国会の2005年の公聴会で、「大げさではなく、人類がまだ体験したことがないような震災が生ずる可能性が非常にあると思っている」と証言している。
そして東京大学元教授竹内啓氏が、2010年9月17日、なんと3・11の丁度半年前に出版された著書「偶然とは何か」(岩波新書)の中で、原発のメルトダウンを想定した危機管理について、福島の事故を予言するかのようなことを述べている。
一部引用
「もしそれが発生すれば莫大な損失が発生するような、絶対起こってはならない現象に対しては、大数の法則や期待値に基づく管理とは別の考え方が必要である。例えば百万人に及ぶ死者を出すような原子力発電所のメルトダウン事故の発生する確率は一年間に百万分の一程度であり、したがって一年あたりの期待死者数は一であるから、他のいろいろなリスクに比べてはるかに小さい、というような議論がなされることがあるが、それはナンセンスである。
そのような事故がもし起こったら、いわば『おしまい』である。こんなことが起こる確率は小さかったはずだなどと言っても、何の慰めにもならない。(中略)なすべきことはこのような事故が『絶対起こらないようにする』ことであり、そのうえでこのようなことが起こる可能性は無視することである。このようにいうと、小さい確率であってもまったくゼロではない限り、それを無視するのは正しくない、したがって、巨大事故の確率がゼロであるといいきれない限り、原子力発電所は建設すべきではないという議論が出されるかもしれない。
しかし、個人でも集団、社会、国さらに人類全体でも、その生存を脅かすような危険性はいろいろ存在するのであって、それらの確率は決してゼロではない」「ある事象が起こる確率がきわめて小さくなるようにするには、いくつかの事象が同時に起こらなければその事象が起こりえないようにしたうえで、それぞれの個別事象の起こる確率を検証可能な小さい水準に抑えるようにすればよい。それは多重安全システムの基本的な考え方である。そうして一つの安全システムが失敗する確率が千分の一の互いに独立なシステムを四重に設けておけば、全部が失敗して大災害が発生する確率は一兆分の一となって、これは十分小さくて事実上ゼロといえるだろう」
by rakuseijin653
| 2012-07-25 11:29
| 思想
|
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