2012年 07月 30日
原発存続の最大の課題 |
河野太郎衆議院議員は、先の地震や津波で原発が稼働停止になる以前に、核燃料処理の問題から、自民党内で反原発を訴えてきた。それは今でも孤軍奮闘の様相である。この使用済み核燃料の処理をどうするのか、原発存続に関わる最大の問題について、「直接処分」方式と「再処理」方式で専門家の意見は分かれ答えは出ていない。
山名元京都大学教授と吉岡斉九州大学教授へのインタビューが、昨日(7月29日)の日本経済新聞に出ているので、二人の見解をまとめてみる。
山名元教授の見解
「使用済み核燃料は廃棄に適した状態ではない。核燃料を収めた金属のさやの内側は高圧で燃料は発熱している。核燃料は大きくかさばり容器を間隔を離しておかなければならず、処分施設は広い面積が要る。再処理でプルトニウムやウランを分け、残りの放射性物質をガラスで固めて圧力のない安定した状態にして処分する方が賢明だ」
「使用済み核燃料にはプルトニウムが約1%、ウラン約96%が含まれ、残りが廃棄物となる。プルトニウムは資源性を備えており、廃棄物と決めつけないで持っていれば、今後のエネルギー供給の不確実性に対する備えとなる。回収ウランも再濃縮すれば燃料として使える」
「再処理は直接処理に比べ、電力1キロワット時あたり0.4円程度高くつく。原子力発電の単価最低9.0円のうちの0.4円を高いと考えるかどうかで判断は分かれる。石油価格上昇や温暖化対策に伴う火力発電のコスト増、再生可能エネルギーに比べれば安いと思う」
「現状のウラン相場では、プルトニウムの再利用が経済的に引き合わないのは事実である。ただ、リサイクルの意義を今の値段をもとに議論すべきではない。リサイクルを余計なコストと考えるか、将来の備えと考えるかの違いだ」
「プルトニウムの資源効率を追求するなら高速増殖炉が理想だ。しかし、軽水炉との競争で現在では割高になるので、効率は劣っても現状ではプルサーマル(軽水炉でのプルトニウム利用)を進めるのが道だ」
「(建設費が当初見込みの3倍にあたる2兆2千億円かかってまだ稼働の見込みがない)日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)の稼働はできるとみている。工場自体は稼働した。問題は廃棄物をガラス固化する最終工程にある。その原因を突き止め克服しつつある。技術開発が困難だからすべて廃棄物にするといった自虐的な判断をしてはいけない」
吉岡斉氏教授の見解
「核燃料サイクル政策は商業的な合理性がなく核拡散上の危険があるそれに比べメリットが少ない」
「日本原燃には親会社の電力会社が金を注ぎ込みそのコストは電力料金に上乗せされている。再処理を商業的にやるという基本の考えが間違っている」
「今重要なのは、再処理するかどうかではない。全力をあげて取り組むべきは、原発の建屋内プールにある使用済み核燃料を地上のプールに移し替え、さらに安定した乾式貯蔵施設に収めて安全に保管することだ。安全上の高リスクを取り除くことが大切で、再処理工場の稼働を急ぐ必要はない。(青森県から使用済み核燃料の各原発への返却要求があれば)各原発に保管場所を建設して戻せばよい。六ケ所村にある使用済み核燃料は3000トン。全国に1万4000トンあることを考えれば大した量ではない。原発立地自治体が受け入れるかどうかわからないが、使用済み核燃料の行き場がなくなるから再処理をする必要があるというのは、核燃料サイクルを継続する口実に聞こえる」
「ウラン資源を有効活用したいなら、核燃料を製造する際に設備を増強し、燃やせるウラン(235)を天然ウランから搾り取る量を増やせばどうか。そうした選択肢も示さないのは再処理の旗をおろしたくないためではないか」
「高速増殖炉は何十年も取り組んで原型すら動かせないのでは実用は空想的だといえる。取り組んでいるのはロシアや中国などで、(経済性を考える)先進国では日本だけである。『もんじゅ』はすぐ廃炉にしてもよいが、少し運転してデータをとってからでもよい」
吉岡教授の主張のように直接処理ができれば当面の方策としてはよいのだろうが、氏も認めているように使用済み燃料を受け入れる自治体が容易にあるとは言えない現実がある。吉本隆明氏が生前(去年の8月)に語ったように、禁断の実に手を付けた人類は、長い年月をかけてでも使用済み燃料の処理をどうするか、それを解決する技術を開発するしかないのではないだろうか。今は不可能と思うことが将来可能にならないとは限らない。もちろんそれまでは、日本における原発の新増設はありえないことだ。
吉本隆明氏は、科学に後戻りはないとして次のように述べている。
「原発を止めるという選択は考えられない。発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はない。それは人間をやめろ、というのと同じです。だから危険な場所まで科学を発達させたことを人間の原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない」(日本経済新聞・2011年8月5日)
山名元京都大学教授と吉岡斉九州大学教授へのインタビューが、昨日(7月29日)の日本経済新聞に出ているので、二人の見解をまとめてみる。
山名元教授の見解
「使用済み核燃料は廃棄に適した状態ではない。核燃料を収めた金属のさやの内側は高圧で燃料は発熱している。核燃料は大きくかさばり容器を間隔を離しておかなければならず、処分施設は広い面積が要る。再処理でプルトニウムやウランを分け、残りの放射性物質をガラスで固めて圧力のない安定した状態にして処分する方が賢明だ」
「使用済み核燃料にはプルトニウムが約1%、ウラン約96%が含まれ、残りが廃棄物となる。プルトニウムは資源性を備えており、廃棄物と決めつけないで持っていれば、今後のエネルギー供給の不確実性に対する備えとなる。回収ウランも再濃縮すれば燃料として使える」
「再処理は直接処理に比べ、電力1キロワット時あたり0.4円程度高くつく。原子力発電の単価最低9.0円のうちの0.4円を高いと考えるかどうかで判断は分かれる。石油価格上昇や温暖化対策に伴う火力発電のコスト増、再生可能エネルギーに比べれば安いと思う」
「現状のウラン相場では、プルトニウムの再利用が経済的に引き合わないのは事実である。ただ、リサイクルの意義を今の値段をもとに議論すべきではない。リサイクルを余計なコストと考えるか、将来の備えと考えるかの違いだ」
「プルトニウムの資源効率を追求するなら高速増殖炉が理想だ。しかし、軽水炉との競争で現在では割高になるので、効率は劣っても現状ではプルサーマル(軽水炉でのプルトニウム利用)を進めるのが道だ」
「(建設費が当初見込みの3倍にあたる2兆2千億円かかってまだ稼働の見込みがない)日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)の稼働はできるとみている。工場自体は稼働した。問題は廃棄物をガラス固化する最終工程にある。その原因を突き止め克服しつつある。技術開発が困難だからすべて廃棄物にするといった自虐的な判断をしてはいけない」
吉岡斉氏教授の見解
「核燃料サイクル政策は商業的な合理性がなく核拡散上の危険があるそれに比べメリットが少ない」
「日本原燃には親会社の電力会社が金を注ぎ込みそのコストは電力料金に上乗せされている。再処理を商業的にやるという基本の考えが間違っている」
「今重要なのは、再処理するかどうかではない。全力をあげて取り組むべきは、原発の建屋内プールにある使用済み核燃料を地上のプールに移し替え、さらに安定した乾式貯蔵施設に収めて安全に保管することだ。安全上の高リスクを取り除くことが大切で、再処理工場の稼働を急ぐ必要はない。(青森県から使用済み核燃料の各原発への返却要求があれば)各原発に保管場所を建設して戻せばよい。六ケ所村にある使用済み核燃料は3000トン。全国に1万4000トンあることを考えれば大した量ではない。原発立地自治体が受け入れるかどうかわからないが、使用済み核燃料の行き場がなくなるから再処理をする必要があるというのは、核燃料サイクルを継続する口実に聞こえる」
「ウラン資源を有効活用したいなら、核燃料を製造する際に設備を増強し、燃やせるウラン(235)を天然ウランから搾り取る量を増やせばどうか。そうした選択肢も示さないのは再処理の旗をおろしたくないためではないか」
「高速増殖炉は何十年も取り組んで原型すら動かせないのでは実用は空想的だといえる。取り組んでいるのはロシアや中国などで、(経済性を考える)先進国では日本だけである。『もんじゅ』はすぐ廃炉にしてもよいが、少し運転してデータをとってからでもよい」
吉岡教授の主張のように直接処理ができれば当面の方策としてはよいのだろうが、氏も認めているように使用済み燃料を受け入れる自治体が容易にあるとは言えない現実がある。吉本隆明氏が生前(去年の8月)に語ったように、禁断の実に手を付けた人類は、長い年月をかけてでも使用済み燃料の処理をどうするか、それを解決する技術を開発するしかないのではないだろうか。今は不可能と思うことが将来可能にならないとは限らない。もちろんそれまでは、日本における原発の新増設はありえないことだ。
吉本隆明氏は、科学に後戻りはないとして次のように述べている。
「原発を止めるという選択は考えられない。発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はない。それは人間をやめろ、というのと同じです。だから危険な場所まで科学を発達させたことを人間の原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない」(日本経済新聞・2011年8月5日)
by rakuseijin653
| 2012-07-30 17:04
| 政治
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