2013年 03月 20日
イラク戦争-----スコット・リッターは無視された |
10年前の3月20日、アメリカはイラクに侵攻した。イラクが大量破壊兵器(WMD)を持っているというのが開戦の理由であった。しかし、イラクには大量破壊兵器はない、と開戦前から訴えていた人物がいた。その名はスコット・リッター(Scott Ritter)、国連大量破壊兵器廃棄特別委員会の元査察団長(1991-98年)である。戦後、彼の指摘通り大量破壊兵器は存在しなかったことが明らかになった。ブッシュ大統領も、「イラクが大量破壊兵器を持っている」という情報は間違いであったことを認めたのだ。
2003年、開戦前の2月に来日したリッター氏は同5日の朝日新聞とのインタビューで次のように述べている。
「国連監視検証査察委員会はイラク側の協力を得て全施設に立ち入りできた。ブリクス委員長は『イラクは依然として非協力的だ』と報告したが、過去の説明が不十分だから、今も所持している疑いは消えないという見方を示した点で、報告には無責任な面があった。例えば91年まで製造していた炭疽菌の培地をどう処分したのかの説明がなく、多量の炭疽菌を製造した可能性があると述べた。しかし、イラクが持っていた炭疽菌は3年もすれば使用不能になったはずで、今は所持しているはずはない。これに対してエルバラダイ国際原子力機関事務局長の、『米国からの情報に基づいて調べても、核開発の証拠はなかった』との報告はバランスがとれていた」
「武装解除よりフセイン政権転覆を優先する米国が査察をゆがめている。イラクに対して寛大すぎるとみられないようブリクス氏が厳しく報告し、エルバラダイ氏が逆の立場を取る、という役回りを二人で決めたのだろう。だが、査察官がそんな政治的な動きをする必要はない。誠実かつ客観的に報告するのが仕事だ」
このころ日本では、アメリカ政府が流す情報を鵜呑みにして政治の場でもジャーナリズムの場でも、「イラクが大量破壊兵器を持っていることは間違いない。フセインは悪いヤツだ。やっつけてしまえ」という論調が支配した。真理を追究するのが本分であるはずの学者までその熱気を煽った者がいる。例えば、中西輝政京都大学教授(当時)である。彼は、よみうりテレビの番組で当時開戦に反対したシラク・フランス大統領を「狂気の沙汰」呼ばわりし、「イラクが大量破壊兵器を持っていることは後の歴史が証明する」とまで“予言”したのである。
結局大量破壊兵器はなかった。ブッシュ大統領は、フセイン独裁を終わらしめたことにイラク戦争の正当性を主張したが、大量破壊兵器所持の情報が間違いであったことを認めた。当時国務長官であったコリン・パウエル氏は2005年、開戦前の2月の国連安保理事会で大量破壊兵器について誤った報告をしたことを「人生の汚点」と吐露している。
ニューヨークタイムス、ワシントンポストも自社のイラク戦争報道を検証する記事を一面に載せ、WMDの存在を疑う記者はいたのに一面に掲載しなかったことを反省している。
翻ってわが日本の政治家、ジャーナリストの反省の言葉は聞かれない。盲目的にアメリカを支援した小泉首相(当時)からは一言の総括もない。読売新聞も産経新聞も、「当時はイラクが大量破壊兵器を持っていないと思う者は誰もいなかった」と嘯いている。学者でも田中明彦東大教授(当時)が同じことを言っていた。アメリカのようにただ反省すればいい、というわけでもないが、日ごろ第三者には立派な講釈をしていても、自分のことになると一方的な情報を疑いもせず判断の誤りを犯したことを、素直に認め謝罪するという清さがない日本人の一面を見る思いがする。
2003年2月5日朝日新聞
2005年9月10日朝日新聞
2004年8月13日朝日新聞
2003年、開戦前の2月に来日したリッター氏は同5日の朝日新聞とのインタビューで次のように述べている。
「国連監視検証査察委員会はイラク側の協力を得て全施設に立ち入りできた。ブリクス委員長は『イラクは依然として非協力的だ』と報告したが、過去の説明が不十分だから、今も所持している疑いは消えないという見方を示した点で、報告には無責任な面があった。例えば91年まで製造していた炭疽菌の培地をどう処分したのかの説明がなく、多量の炭疽菌を製造した可能性があると述べた。しかし、イラクが持っていた炭疽菌は3年もすれば使用不能になったはずで、今は所持しているはずはない。これに対してエルバラダイ国際原子力機関事務局長の、『米国からの情報に基づいて調べても、核開発の証拠はなかった』との報告はバランスがとれていた」
「武装解除よりフセイン政権転覆を優先する米国が査察をゆがめている。イラクに対して寛大すぎるとみられないようブリクス氏が厳しく報告し、エルバラダイ氏が逆の立場を取る、という役回りを二人で決めたのだろう。だが、査察官がそんな政治的な動きをする必要はない。誠実かつ客観的に報告するのが仕事だ」
このころ日本では、アメリカ政府が流す情報を鵜呑みにして政治の場でもジャーナリズムの場でも、「イラクが大量破壊兵器を持っていることは間違いない。フセインは悪いヤツだ。やっつけてしまえ」という論調が支配した。真理を追究するのが本分であるはずの学者までその熱気を煽った者がいる。例えば、中西輝政京都大学教授(当時)である。彼は、よみうりテレビの番組で当時開戦に反対したシラク・フランス大統領を「狂気の沙汰」呼ばわりし、「イラクが大量破壊兵器を持っていることは後の歴史が証明する」とまで“予言”したのである。
結局大量破壊兵器はなかった。ブッシュ大統領は、フセイン独裁を終わらしめたことにイラク戦争の正当性を主張したが、大量破壊兵器所持の情報が間違いであったことを認めた。当時国務長官であったコリン・パウエル氏は2005年、開戦前の2月の国連安保理事会で大量破壊兵器について誤った報告をしたことを「人生の汚点」と吐露している。
ニューヨークタイムス、ワシントンポストも自社のイラク戦争報道を検証する記事を一面に載せ、WMDの存在を疑う記者はいたのに一面に掲載しなかったことを反省している。
翻ってわが日本の政治家、ジャーナリストの反省の言葉は聞かれない。盲目的にアメリカを支援した小泉首相(当時)からは一言の総括もない。読売新聞も産経新聞も、「当時はイラクが大量破壊兵器を持っていないと思う者は誰もいなかった」と嘯いている。学者でも田中明彦東大教授(当時)が同じことを言っていた。アメリカのようにただ反省すればいい、というわけでもないが、日ごろ第三者には立派な講釈をしていても、自分のことになると一方的な情報を疑いもせず判断の誤りを犯したことを、素直に認め謝罪するという清さがない日本人の一面を見る思いがする。
2003年2月5日朝日新聞
2005年9月10日朝日新聞
2004年8月13日朝日新聞
by rakuseijin653
| 2013-03-20 09:00
| 戦争
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