2013年 09月 15日
1964年の東京オリンピック開会式を観た |
これは、1964年の東京オリンピック開会式のチケットである。
10月10日、雲一つない秋晴れだったことを鮮明に思い出す。席は、聖火台に向かう階段の中ごろ右側の、左から5番目くらいのところで、吹奏楽団と男女の大合唱団が位置するところの上の方だった。聖火ランナーの坂井選手が駆け上がって行くすぐ脇であり、彼の息遣いが聞こえるほどの距離の席であった。この時の東京オリンピックが話題になるたびに、坂井選手が聖火を掲げて駆け上がって行くシーンがしばしばテレビで流れる。走者に合わせたスピードで撮影されているので、近くの観客の顔が映るのは一瞬であり判別できないが、その映像の中に写っているはずだ。
当時のオリンピックの開会式は、今のように派手なアトラクションはない。選手入場、国旗及び大会旗の入場と掲揚、開会宣言、聖火の点火、それに合わせて、航空自衛隊機が大空に見事な五輪のマークを描く、同時に数千羽の鳩が放たれるという簡素なものであった。選手入場は、整然と列をつくって行進した。この日の入場行進のために古関裕而が作曲したのが「オリンピックマーチ」である。選手入場は、この曲の高らかに鳴り響くファンファーレで始まった。そのメロディは今なお諳んじて口ずさむことができる。名曲である。
当時のオリンピックの開会式は、今のように派手なアトラクションはない。選手入場、国旗及び大会旗の入場と掲揚、開会宣言、聖火の点火、それに合わせて、航空自衛隊機が大空に見事な五輪のマークを描く、同時に数千羽の鳩が放たれるという簡素なものであった。選手入場は、整然と列をつくって行進した。この日の入場行進のために古関裕而が作曲したのが「オリンピックマーチ」である。選手入場は、この曲の高らかに鳴り響くファンファーレで始まった。そのメロディは今なお諳んじて口ずさむことができる。名曲である。
閉会式では期せずして国どうしの垣根を超えて、隊列を崩した行進となった。偶然から生まれたこのスタイルは、“平和”を象徴するオリンピックにふさわしいものと捉えられ、東京オリンピック後も定着していった。
実は、このチケットは、会社の寮に一緒に住んでいた後輩から譲り受けたもの。彼が抽選で手にしたものを、交渉してプレミアムをつけて5,000円で譲り受けた。“元値”は1,000円であった。
10日のNHKテレビなどによると前回のオリンピックの開会式の入場券は500円ー8,000円、今回〈2020年〉は25,000円ー120,000円と伝えている。大学卒の初任給で比較すると64年21,200円、2012年199,600円である。
実は、このチケットは、会社の寮に一緒に住んでいた後輩から譲り受けたもの。彼が抽選で手にしたものを、交渉してプレミアムをつけて5,000円で譲り受けた。“元値”は1,000円であった。
10日のNHKテレビなどによると前回のオリンピックの開会式の入場券は500円ー8,000円、今回〈2020年〉は25,000円ー120,000円と伝えている。大学卒の初任給で比較すると64年21,200円、2012年199,600円である。
初任給の倍率が10倍であるのに対し、入場料の倍率は50倍―15倍である。64年の東京オリンピックと2012年のロンドンオリンピックを比べると、下記のように規模が拡大しているので、運営費の反映である入場料が高くなるのは必然であろう。それに最近は、アトラクションが華美になっている。それらは開催国の趣向によるものであり、近年「カネのかかるオリンピック」の要因にもなっている。
同時に、IOCのスポンサー収入も肥大して、大口スポンサーであるアメリカのテレビ局、NBCが開催期間を左右するまでになっている。9月以降になると、アメリカの最大人気スポーツでありその中継がテレビ局のドル箱であるアメリカンフットボールシーズンが始まるからである。放送権をNHKと民放キー局とで分割している日本と違い、アメリカではNBC一局が独占している。東京オリンピックが真夏の開催を強いられるのも、それが理由である。
東京 ロンドン
参加国 93 204
参加人数 5,133 10,931
競技数 20 163
種目 26 302
9日の朝日新聞夕刊に、聖火ランナー坂井義則氏の顔写真が出ていた。当時19歳であった青年は、今、68歳。49年の年月が流れて、また7年後のオリンピック開催が決まり、感慨を述べていた。坂井氏は早大の陸上部に所属し、オリンピック出場を目指していた。それはかなわなかったが、原爆投下の日に広島で生まれたという故をもって、平和の祭典の最終ランナーに選ばれたのだ。
聖火を掲げて駆け上がる坂井選手・下段に見えるのは女声合唱団、その右に男性合唱団〈NHKテレビ番組より)
ブルーインパルスにより青空に描かれた五輪マーク
参加国 93 204
参加人数 5,133 10,931
競技数 20 163
種目 26 302
9日の朝日新聞夕刊に、聖火ランナー坂井義則氏の顔写真が出ていた。当時19歳であった青年は、今、68歳。49年の年月が流れて、また7年後のオリンピック開催が決まり、感慨を述べていた。坂井氏は早大の陸上部に所属し、オリンピック出場を目指していた。それはかなわなかったが、原爆投下の日に広島で生まれたという故をもって、平和の祭典の最終ランナーに選ばれたのだ。
聖火を掲げて駆け上がる坂井選手・下段に見えるのは女声合唱団、その右に男性合唱団〈NHKテレビ番組より)
ブルーインパルスにより青空に描かれた五輪マーク
by rakuseijin653
| 2013-09-15 08:00
| 野球(スポーツ)
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