2013年 10月 09日
日韓応酬の発端は何か |
最近の韓国の対日抗議行動は、そのことだけを見れば異常なレベルにある。その発端は何であろうか。
「われわれの母たちの精神的苦痛を日本人が金で清算する結果にならないようにすべきと考える。また、われわれが日本に奪われ、自国民の安全を守ることができなかった道徳的、政治的責任は、それを蹂躙した彼らの犯罪とは別途の問題としてわれわれ自身にあるという観点もありうる。過去にフタをしようということではないが、過去のために今日と明日のことが一歩も進まないという状況は現代的な外交の道ではない。問題があれば並行して議論して処理するという姿勢が必要だ。従軍慰安婦問題は、その性格からも愉快なことではないが、日本政府の謝罪をきっかけに、われわれが、補償を引き受け、この恥ずべき過去の扉はもう閉じてはどうだろうか」(Voice10月号・「『慰安婦とハルキ』に見る日韓の深い溝」・黒田勝弘)より転記
これは、1993年8月4日の「河野談話」をうけた、朝鮮日報の「補償はわれわれがしよう」と題する8月5日の社説である。
また、韓国外務省は、同じく河野談話に対して、
「全体として強制性を認め被害者に謝罪と反省を表明し、今後の歴史の教訓としていく意思を表明したことを評価する」との声明を発表している。
同年(93年)2月に大統領に就任した金泳三は3月、「慰安婦問題で日本に物的補償は求めない」と言明している。
この段階では韓国の政府、メディアとも、コトを収めようとしていたことがうかがえる。それがなぜ、今日のような激しい応酬を生むようになったのだろうか。
そのひとつのきっけは、95年の江藤発言(日本は植民地時代、韓国にいいこともした)であると思う。このころから、河野談話を日本の「屈辱」とする右翼メディア、売文業者と自民党右派の反発が高まっていく。
96年には「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、わが国の教科書の、戦前、戦中についての歴史記述は自虐史観であるとして、これを否定するキャンペーンが勢いを増していった。このような、植民地とされた朝鮮民族の屈辱を更に上塗りするような日本の言動が、韓国の反発に火をつける結果を招いたのである。金大統領も95年を境に、対日強硬路線に転換した。
しかし1998年、小渕ー金大中による日韓共同声明で「21世紀に向けた新たなパートナーシップ」が宣言され、両国関係が修復された。それを壊したのが2007年第一次政権以降の安倍首相である。歴代首相で初めて、慰安婦の「狭義の強制連行はなかった」との認識を表明した。その後も傷口に塩を塗るような日本側の言動が繰りかえされるたびに、韓国側の反発はエスカレート、07年、彼らは慰安婦問題をアメリカ議会に働きかけ、下院で日本批判の決議がなされてしまった。この動きに対抗して、日本側のウヨク(歴史事実普及委員会)はワシントンポスト紙に、韓国の主張は事実に反するという全面広告をだした。
そして、2010年のニュージャージー州パリセードパーク、2011年のソウル、日本大使館前の銅像設置につながる。その運動は更に拡大し、2013年、ニュージャージー州ハッケンサック、カリフォルニア州グレンデールで銅像を設置、それに対抗して「歴史事実委員会」がニュージャージー州の新聞に広告を出す、という泥仕合になっている。その広告には安倍晋三の名もある。
彼ら(歴史事実委員会)の言動は、国内ではそれらに煽られる者がいるのでいい気持になっているが、“井戸”の外でば、アメリカのみならず、世界の世論は日本に批判的であり、彼らの意図とは逆に、日本のイメージを益々貶めているのである。
右翼の“神髄”は自己中心主義であり他者の立場を考えられないことであるから、彼らに百万言を弄しても無駄だ。彼らは、自国の尊厳を声高に叫ぶが、相手の国の尊厳は考えない。だから、植民地にされた国家民族の屈辱に思いがいたらない。韓国は日本と戦争して勝ったわけではないが、日本の敗戦により独立したのであり、その意味で対等な関係ではないということがわからず、戦時体験者の中にも相手を2等国家として見下した戦前の意識が抜けない者がいる。
過去には、韓国や中国との「歴史」を否定するような発言をした閣僚は、首相に罷免されるか、責任をとって辞任した。1986年、藤尾正行文部大臣、88年、奥野誠亮国土庁長官、94年、永野茂門法務大臣、95年、江藤隆美総務庁長官などである。戦時体験をもつ首相が担っていた時の政権は、日韓、日中の友好関係を損なうようなことにならないよう神経を使っていた。ところが今は、首相自ら臆面もなく「歴史」を否定する発言をしている。
これで隣国との関係が良くなるはずがない。
「われわれの母たちの精神的苦痛を日本人が金で清算する結果にならないようにすべきと考える。また、われわれが日本に奪われ、自国民の安全を守ることができなかった道徳的、政治的責任は、それを蹂躙した彼らの犯罪とは別途の問題としてわれわれ自身にあるという観点もありうる。過去にフタをしようということではないが、過去のために今日と明日のことが一歩も進まないという状況は現代的な外交の道ではない。問題があれば並行して議論して処理するという姿勢が必要だ。従軍慰安婦問題は、その性格からも愉快なことではないが、日本政府の謝罪をきっかけに、われわれが、補償を引き受け、この恥ずべき過去の扉はもう閉じてはどうだろうか」(Voice10月号・「『慰安婦とハルキ』に見る日韓の深い溝」・黒田勝弘)より転記
これは、1993年8月4日の「河野談話」をうけた、朝鮮日報の「補償はわれわれがしよう」と題する8月5日の社説である。
また、韓国外務省は、同じく河野談話に対して、
「全体として強制性を認め被害者に謝罪と反省を表明し、今後の歴史の教訓としていく意思を表明したことを評価する」との声明を発表している。
同年(93年)2月に大統領に就任した金泳三は3月、「慰安婦問題で日本に物的補償は求めない」と言明している。
この段階では韓国の政府、メディアとも、コトを収めようとしていたことがうかがえる。それがなぜ、今日のような激しい応酬を生むようになったのだろうか。
そのひとつのきっけは、95年の江藤発言(日本は植民地時代、韓国にいいこともした)であると思う。このころから、河野談話を日本の「屈辱」とする右翼メディア、売文業者と自民党右派の反発が高まっていく。
96年には「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、わが国の教科書の、戦前、戦中についての歴史記述は自虐史観であるとして、これを否定するキャンペーンが勢いを増していった。このような、植民地とされた朝鮮民族の屈辱を更に上塗りするような日本の言動が、韓国の反発に火をつける結果を招いたのである。金大統領も95年を境に、対日強硬路線に転換した。
しかし1998年、小渕ー金大中による日韓共同声明で「21世紀に向けた新たなパートナーシップ」が宣言され、両国関係が修復された。それを壊したのが2007年第一次政権以降の安倍首相である。歴代首相で初めて、慰安婦の「狭義の強制連行はなかった」との認識を表明した。その後も傷口に塩を塗るような日本側の言動が繰りかえされるたびに、韓国側の反発はエスカレート、07年、彼らは慰安婦問題をアメリカ議会に働きかけ、下院で日本批判の決議がなされてしまった。この動きに対抗して、日本側のウヨク(歴史事実普及委員会)はワシントンポスト紙に、韓国の主張は事実に反するという全面広告をだした。
そして、2010年のニュージャージー州パリセードパーク、2011年のソウル、日本大使館前の銅像設置につながる。その運動は更に拡大し、2013年、ニュージャージー州ハッケンサック、カリフォルニア州グレンデールで銅像を設置、それに対抗して「歴史事実委員会」がニュージャージー州の新聞に広告を出す、という泥仕合になっている。その広告には安倍晋三の名もある。
彼ら(歴史事実委員会)の言動は、国内ではそれらに煽られる者がいるのでいい気持になっているが、“井戸”の外でば、アメリカのみならず、世界の世論は日本に批判的であり、彼らの意図とは逆に、日本のイメージを益々貶めているのである。
右翼の“神髄”は自己中心主義であり他者の立場を考えられないことであるから、彼らに百万言を弄しても無駄だ。彼らは、自国の尊厳を声高に叫ぶが、相手の国の尊厳は考えない。だから、植民地にされた国家民族の屈辱に思いがいたらない。韓国は日本と戦争して勝ったわけではないが、日本の敗戦により独立したのであり、その意味で対等な関係ではないということがわからず、戦時体験者の中にも相手を2等国家として見下した戦前の意識が抜けない者がいる。
過去には、韓国や中国との「歴史」を否定するような発言をした閣僚は、首相に罷免されるか、責任をとって辞任した。1986年、藤尾正行文部大臣、88年、奥野誠亮国土庁長官、94年、永野茂門法務大臣、95年、江藤隆美総務庁長官などである。戦時体験をもつ首相が担っていた時の政権は、日韓、日中の友好関係を損なうようなことにならないよう神経を使っていた。ところが今は、首相自ら臆面もなく「歴史」を否定する発言をしている。
これで隣国との関係が良くなるはずがない。
by rakuseijin653
| 2013-10-09 08:00
| 韓国・朝鮮・中国
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Comments(2)
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rakuseijin653 at 2015-11-23 17:02
趙世瑛・元韓国外交通商省東北アジア局長「金泳三大統領の任期前半は日韓関係も良かった。当時は慰安婦問題は今以上に大きな問題で、1993年3月の、金銭的な補償を求めないとの方針は、勇気ある決断だった。任期後半で日韓関係が悪化した背景の一つに、非自民政権になりリベラルな歴史認識が進むと、自民党の保守政治家から妄言が集中的に出たためだ」2015年11月23日朝日新聞(金泳三大統領死去)
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rakuseijin653 at 2019-02-11 10:39
李在禎・韓国元統一相「日韓関係悪化の原因は、いまだに過去の植民地支配という歴史問題が根本的に解決されていないからだ。1919年3月1日。独立運動が始まり、今年、100年の記念日を控え、韓国人はつらい記憶を思い出す。何度も謝っているのに韓国は許してくれないという不満が、日本にあるのを知っている。でも、韓国民は、慰安婦問題や歴史教科書の問題で日本から出てくる言動を見る度に、心から誤っているわけではないと感じてしまうのだ。私は、次の世代を担う若い人たちに期待している。日本では元号が変わる今年。難しいとは思うが、真の友好関係に向けた新たな出発の年になればうれしい」2019年2月11日朝日新聞