2013年 12月 26日
ターナー展に行ってきた |
7月に「漱石の美術世界展」で、ターナーの絵をいくつか観たが(ここ)、今度は「ターナー展」だというので、最終日に近い12月に入ってから出かけた(東京都美術館)。
ターナー(1775-1851)は、14歳でイギリス・ロイヤルアカデミースクールに入り15歳にして水彩画家としての頭角を現している。ターナーが特異なのは、21歳で油彩画を描き始めたのだが、それは水彩画から油彩画に転じたのではなく、晩年まで水彩画も描き続けているということにあろう。会場には110点ほどの作品が展示されているが、このうち油彩画は30点である。習作を含め晩年までの水彩画が多く展示されている。
初期の水彩画は風景画がほとんどで、細密で写実的な絵である。下手の横好きで水彩の筆をとっている者には、これらの絵を"観賞"するというより、どうしたらこういう絵が描けるだろうという"学び"の視点で観てしまう。
そういうターナーの画風もベネチア旅行を機に、1820年代から水彩画も油彩画も変わっていく。それは、「大気と光の効果を追求することに主眼がおかれ」、対象の形体があいまいな画法になる。日本画の朦朧体のようでもあるし、印象派の絵のようでもある。
ターナーは印象派の画家たちと同時代の画家と漠然と思っていたが、改めて年譜をたぐると、ターナーの生誕年はモネ(1840-1926)やルノワール(1841-1919)などより60年ほど前だ。
印象派の始まりは、モネが「印象ー日の出」を出展した1874年とされているが、ターナーはそれより以前、少なくとも30年前に印象派の先駆けと言うべき画法を確立しているのだ。
今回、ターナーが印象派の先駆者とも言われていることを初めて知った。その一方で、印象派の画家たちがターナーの影響を受けたという話は聞かないが、どうなのだろう。
にわか雨(1798年)
ベネツィア・月の出(1840年)
ターナー(1775-1851)は、14歳でイギリス・ロイヤルアカデミースクールに入り15歳にして水彩画家としての頭角を現している。ターナーが特異なのは、21歳で油彩画を描き始めたのだが、それは水彩画から油彩画に転じたのではなく、晩年まで水彩画も描き続けているということにあろう。会場には110点ほどの作品が展示されているが、このうち油彩画は30点である。習作を含め晩年までの水彩画が多く展示されている。
初期の水彩画は風景画がほとんどで、細密で写実的な絵である。下手の横好きで水彩の筆をとっている者には、これらの絵を"観賞"するというより、どうしたらこういう絵が描けるだろうという"学び"の視点で観てしまう。
そういうターナーの画風もベネチア旅行を機に、1820年代から水彩画も油彩画も変わっていく。それは、「大気と光の効果を追求することに主眼がおかれ」、対象の形体があいまいな画法になる。日本画の朦朧体のようでもあるし、印象派の絵のようでもある。
ターナーは印象派の画家たちと同時代の画家と漠然と思っていたが、改めて年譜をたぐると、ターナーの生誕年はモネ(1840-1926)やルノワール(1841-1919)などより60年ほど前だ。
印象派の始まりは、モネが「印象ー日の出」を出展した1874年とされているが、ターナーはそれより以前、少なくとも30年前に印象派の先駆けと言うべき画法を確立しているのだ。
今回、ターナーが印象派の先駆者とも言われていることを初めて知った。その一方で、印象派の画家たちがターナーの影響を受けたという話は聞かないが、どうなのだろう。
にわか雨(1798年)
ベネツィア・月の出(1840年)
by rakuseijin653
| 2013-12-26 08:00
| 美術
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