2014年 05月 01日
日本国憲法はアメリカの押しつけか? |
日本国憲法がアメリカによる〝押しつけ”憲法であることは間違いない。
護憲派は、「平和憲法」を死守せんがためその事実には目をそらす。保守穏健派は、押し付け憲法は改正すべきとするも、同盟国アメリカを援護するためにはわが国の領土、領海の外まで出て行って戦力を行使できるようにする、という安倍政権による憲法改正は望んでいない。なかには、〝悪い自主憲法”より〝押しつけられた良い憲法”のほうがいい、と発言している者さえいる。われわれはそのような〝ねじれ”のなかにはまり込んだままだ。
本来は、サンフランシスコ講和条約で占領下から独立した昭和27年(1952年)に、自主憲法に改定すべきであったのである。講話条約締結から4年後の1956年、政府は、国会議員および学識経験者を委員とする「憲法調査会」を発足させたが、社会党は「今は外国軍隊の基地がおかれているから憲法改正の時期ではない」ことを理由に参加を拒否している(若槻恭雄著・「売文業者の戦後責任・日本人と憲法」・原書房)。憲法改正を阻止するための詭弁である。共産党でも社民党でも、自分たちが政権をとれば、社会主義体制に合った憲法に変えるだろう。かれらが政権をとることはあり得ないが、理屈はそうである。
占領国は、被占領国に対して絶対的な権力をもっているのだから、占領下の日本の憲法作成に強制権をもってしたことは、ある意味であたりまえだ。それでも、連合国軍(事実上アメリカ)総司令官マッカーサー元帥は一度は、日本政府に自分たちの憲法案を示すように求めている。それに対して幣原内閣が草案したのが、いわゆる「松本案」であった。しかしそれは、明治憲法とほとんど変わらず、神権的天皇の条項をそのまま残した〝シロモノ”であった。国体=天皇制護持が保証されるのか、の一点でポツダム宣言を受けるかどうか右往左往した為政者は、まだ天皇が現人神であるという呪縛に捉われていたのだ。
それでマッカーサーは、連合国軍(アメリカ)による憲法改正を部下に指示したのである。
占領統治下の日本国憲法制定の経過は以下の通り。<若槻恭雄著・同上書による>
1945・10・11 幣原首相、マッカーサー訪問。憲法改正の指示を受ける。
10・13 政府、憲法問題調査委員会設置(松本烝治国務相担当)
12・ 8 憲法改正の四原則発表。天皇が統治権を総覧するという明治憲法の
原則は変えず(松本案)
1946・ 2・ 3 マ元帥、報道で「松本案」を知り、日本政府に対して具体的な憲法草案
を示す必要を感じ、マッカーサー・ノートに基づく憲法草案の作成を
ホイットニー局長に命令
2・ 4 GHQにてホイットニー指揮のもと改正作業開始
2・13 日本側提出の「松本案」をホイットニー、拒否
2・22 マッカーサー、幣原首相に、憲法改正の基本は、神権的天皇制を廃止
して「天皇象徴制」にすること、「戦争の放棄・非武装」であると説明
閣議でGHQ案にそって、憲法改正案を作成する方針を決定
3・ 2 改正案脱稿(→GHQと共同で英訳)
3・ 5 GHQから「『この草案を日本政府の改正案』として発表する」旨の書面を
受ける
11・ 3 日本国憲法公布。マッカーサー、声明を発表
1947・ 5・ 3 日本国憲法施行
以上から、日本国憲法が占領統治者であるアメリカから事実上押し付けられたものであることは明らかである。
1954年、神川彦松(元東大教授)は次のように言っている。(同上書より引用)
「このような経過でできた憲法は、よしその内容がいかほど民主的であったとしても、実質上は非民主的な独裁憲法であることは、いかなる憲法学者も否定しえないところである。なぜなら、憲法が自由な民主的憲法であるがためには、主権人民が、自らの手で自分の利益のために作ったものでなければならないからだ。ところが当時、日本国民は外国軍の軍政下にあって『主権的国民』ではなかった。この憲法は司令部の発意で司令部の手で連合国の利益のために作られたものであって、これが日本国民の自由な民主憲法でありえないことは明白であるからだ」
護憲派は、「平和憲法」を死守せんがためその事実には目をそらす。保守穏健派は、押し付け憲法は改正すべきとするも、同盟国アメリカを援護するためにはわが国の領土、領海の外まで出て行って戦力を行使できるようにする、という安倍政権による憲法改正は望んでいない。なかには、〝悪い自主憲法”より〝押しつけられた良い憲法”のほうがいい、と発言している者さえいる。われわれはそのような〝ねじれ”のなかにはまり込んだままだ。
本来は、サンフランシスコ講和条約で占領下から独立した昭和27年(1952年)に、自主憲法に改定すべきであったのである。講話条約締結から4年後の1956年、政府は、国会議員および学識経験者を委員とする「憲法調査会」を発足させたが、社会党は「今は外国軍隊の基地がおかれているから憲法改正の時期ではない」ことを理由に参加を拒否している(若槻恭雄著・「売文業者の戦後責任・日本人と憲法」・原書房)。憲法改正を阻止するための詭弁である。共産党でも社民党でも、自分たちが政権をとれば、社会主義体制に合った憲法に変えるだろう。かれらが政権をとることはあり得ないが、理屈はそうである。
占領国は、被占領国に対して絶対的な権力をもっているのだから、占領下の日本の憲法作成に強制権をもってしたことは、ある意味であたりまえだ。それでも、連合国軍(事実上アメリカ)総司令官マッカーサー元帥は一度は、日本政府に自分たちの憲法案を示すように求めている。それに対して幣原内閣が草案したのが、いわゆる「松本案」であった。しかしそれは、明治憲法とほとんど変わらず、神権的天皇の条項をそのまま残した〝シロモノ”であった。国体=天皇制護持が保証されるのか、の一点でポツダム宣言を受けるかどうか右往左往した為政者は、まだ天皇が現人神であるという呪縛に捉われていたのだ。
それでマッカーサーは、連合国軍(アメリカ)による憲法改正を部下に指示したのである。
占領統治下の日本国憲法制定の経過は以下の通り。<若槻恭雄著・同上書による>
1945・10・11 幣原首相、マッカーサー訪問。憲法改正の指示を受ける。
10・13 政府、憲法問題調査委員会設置(松本烝治国務相担当)
12・ 8 憲法改正の四原則発表。天皇が統治権を総覧するという明治憲法の
原則は変えず(松本案)
1946・ 2・ 3 マ元帥、報道で「松本案」を知り、日本政府に対して具体的な憲法草案
を示す必要を感じ、マッカーサー・ノートに基づく憲法草案の作成を
ホイットニー局長に命令
2・ 4 GHQにてホイットニー指揮のもと改正作業開始
2・13 日本側提出の「松本案」をホイットニー、拒否
2・22 マッカーサー、幣原首相に、憲法改正の基本は、神権的天皇制を廃止
して「天皇象徴制」にすること、「戦争の放棄・非武装」であると説明
閣議でGHQ案にそって、憲法改正案を作成する方針を決定
3・ 2 改正案脱稿(→GHQと共同で英訳)
3・ 5 GHQから「『この草案を日本政府の改正案』として発表する」旨の書面を
受ける
11・ 3 日本国憲法公布。マッカーサー、声明を発表
1947・ 5・ 3 日本国憲法施行
以上から、日本国憲法が占領統治者であるアメリカから事実上押し付けられたものであることは明らかである。
1954年、神川彦松(元東大教授)は次のように言っている。(同上書より引用)
「このような経過でできた憲法は、よしその内容がいかほど民主的であったとしても、実質上は非民主的な独裁憲法であることは、いかなる憲法学者も否定しえないところである。なぜなら、憲法が自由な民主的憲法であるがためには、主権人民が、自らの手で自分の利益のために作ったものでなければならないからだ。ところが当時、日本国民は外国軍の軍政下にあって『主権的国民』ではなかった。この憲法は司令部の発意で司令部の手で連合国の利益のために作られたものであって、これが日本国民の自由な民主憲法でありえないことは明白であるからだ」
「たとえその内容が、『神の法』のように完全なものであるとしても、それは外国人の作ったものである限りは、断じて日本人の民主憲法とは言えない。問題は、内容の善悪ではない。制定の主体が何人にあるかによる」
若槻泰雄も上記著書で言っているが、情けないことに、もし占領軍により現在の憲法を押し付けられなかったら、わが国は戦前の体質のままで、現在のような民主主義国家にはなっていなかっただろう。しかし独立国として、自主憲法を定められないという現状のままでよいはずはない。安倍晋三的国家主義者が唱える憲法と絶対平和主義者が唱える憲法との間に、この国にとって〝あるべき憲法”があると思うのだが、われわれには、それを作り出す〝賢さ”はないようだ。
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若槻泰雄も上記著書で言っているが、情けないことに、もし占領軍により現在の憲法を押し付けられなかったら、わが国は戦前の体質のままで、現在のような民主主義国家にはなっていなかっただろう。しかし独立国として、自主憲法を定められないという現状のままでよいはずはない。安倍晋三的国家主義者が唱える憲法と絶対平和主義者が唱える憲法との間に、この国にとって〝あるべき憲法”があると思うのだが、われわれには、それを作り出す〝賢さ”はないようだ。
by rakuseijin653
| 2014-05-01 08:00
| 政治
|
Comments(3)
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iyasaca at 2014-05-02 22:42
こんにちは。押し付け憲法については、論点は2点のみかと思います。ご指摘の通り、日本人に新憲法制定の機会が与えられたにもかかわらず、当時の日本人は新時代に則した憲法を策定できなかった。さらに、仮に結果として押し付けられたにせよ、その後70年、日本人は何をしていたか?憲法改正の手続きすら議論してこなかった。今になって押し付け憲法だから無効だとかいう議論はナンセンスであると考える次第です。
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rakuseijin653 at 2014-05-04 21:09
iyasacaさん
コメント、ありがとうございます。結果としては「改正の手続きすら議論してこなかった」という〝事実”があるわけですが、例えば中曽根氏は、新人として衆議院議員に立候補した時から終始憲法改正を訴えていました。改憲派は、占領から独立した国として自主憲法を持つべきだと言っているのであり、押しつけ憲法だから「無効」とは言っていないのではないでしょうか。何はともあれ戦後70年国民の間に定着している、という考えかたもありえましょうが、護憲派の中にも、本音は自主憲法に改正すべきだと考えている人がいます。ただかれらは、今は保守右派が主導する勢いは危険であり、その勢いに付和雷同する国民が流されるのではないかと危惧して、改憲に反対しているところがあると思います。
コメント、ありがとうございます。結果としては「改正の手続きすら議論してこなかった」という〝事実”があるわけですが、例えば中曽根氏は、新人として衆議院議員に立候補した時から終始憲法改正を訴えていました。改憲派は、占領から独立した国として自主憲法を持つべきだと言っているのであり、押しつけ憲法だから「無効」とは言っていないのではないでしょうか。何はともあれ戦後70年国民の間に定着している、という考えかたもありえましょうが、護憲派の中にも、本音は自主憲法に改正すべきだと考えている人がいます。ただかれらは、今は保守右派が主導する勢いは危険であり、その勢いに付和雷同する国民が流されるのではないかと危惧して、改憲に反対しているところがあると思います。
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by
rakuseijin653 at 2019-05-17 21:59
小林節慶大名誉教授「(安倍首相が、自衛官の子供が『お父さんは違憲なの?』と涙目になったとのエピソードを持ち出して9条改正を訴えたことについて)武装組織を巡る冷徹な議論にお涙頂だいの情緒論を持ち出す安倍首相です。もはやいまの政治に、憲法を変える資格も知性もない。危なすぎる。首相たちはとにかく改憲してみたい、という『改憲マニア』なんです。もう、9条を含めて改憲すべきではない。僕はこれまで護憲的改憲論者を自負してきました。でももう、改憲論者をやめた。護憲になる」毎日新聞夕刊2019年5月9日