2014年 06月 19日
旅の余話 |
恐山に行ってむつ市に宿泊、翌朝尻屋崎灯台に行ってみた。中型の路線バスで約1時間、往路は他の乗降客はなく、道中、〝おひとり様貸切”であった。シーズンオフで運休していた尻屋から灯台までの運行が、5月に再開したばかりである。
尻屋崎灯台は、「本州最涯の灯台」と称している。その地理座標は北緯41度25分、東経141度27分。明治9年(1876)、東北最初の灯台として建てられ、翌年に霧鐘も設置された。「日本灯台50選」に選ばれ、映画「喜びも悲しみも幾年月」にも登場している。太平洋に向かって立つ〝姿”は、若山一郎が歌った主題歌の歌詞にある通り「沖行く船の 無事を祈って 灯を燈す」そのものに見える。
ここで、寒立馬と呼ばれる馬の放牧がみられることもある 正面の山の懐に恐山霊場がある
JR青森駅で乗り継ぎ時間が2時間あったので、旧青函連絡船埠頭に博物館として係留されている八甲田丸を見学した。1988年に青函航路を閉じた最後の連絡船である。青函連絡船は客とともに貨客列車を積載していた。八甲田丸の船内にも現役時代に運んだ列車の実物がある。折から韓国で事故が起きたばかりのセウォル号のことを思い出す。さらに遡って、昭和29年の洞爺丸事故のことも。ちょうど60年前のことだ。台風の中を函館から出港して航行不能となり転覆した事故で、1155人が犠牲になった。当時はテレビはなかったが、新聞やラジオ、映画のニュースで報じられた悲劇は覚えている。ずっと後年(昭和56年)のことだが、多数の犠牲者が打ち上げられた函館の七重浜も出張の折に見ている。この事故を機に青函トンネル建設構想が具体化されたのである。
八甲田丸
青森は、帆立貝が名産である。陸奥湾でとれた帆立貝の刺身は、今まで味わったことのないほど美味であった。二晩の夕食に食した海鮮どんぶり、にぎり寿司、昼食に
青森駅前の食堂「帆立小屋」で食べた新鮮な帆立貝に大いに満足した。
駅前の「帆立小屋」の帆立づくし
尻屋崎灯台は、「本州最涯の灯台」と称している。その地理座標は北緯41度25分、東経141度27分。明治9年(1876)、東北最初の灯台として建てられ、翌年に霧鐘も設置された。「日本灯台50選」に選ばれ、映画「喜びも悲しみも幾年月」にも登場している。太平洋に向かって立つ〝姿”は、若山一郎が歌った主題歌の歌詞にある通り「沖行く船の 無事を祈って 灯を燈す」そのものに見える。
JR青森駅で乗り継ぎ時間が2時間あったので、旧青函連絡船埠頭に博物館として係留されている八甲田丸を見学した。1988年に青函航路を閉じた最後の連絡船である。青函連絡船は客とともに貨客列車を積載していた。八甲田丸の船内にも現役時代に運んだ列車の実物がある。折から韓国で事故が起きたばかりのセウォル号のことを思い出す。さらに遡って、昭和29年の洞爺丸事故のことも。ちょうど60年前のことだ。台風の中を函館から出港して航行不能となり転覆した事故で、1155人が犠牲になった。当時はテレビはなかったが、新聞やラジオ、映画のニュースで報じられた悲劇は覚えている。ずっと後年(昭和56年)のことだが、多数の犠牲者が打ち上げられた函館の七重浜も出張の折に見ている。この事故を機に青函トンネル建設構想が具体化されたのである。
八甲田丸
青森は、帆立貝が名産である。陸奥湾でとれた帆立貝の刺身は、今まで味わったことのないほど美味であった。二晩の夕食に食した海鮮どんぶり、にぎり寿司、昼食に
青森駅前の食堂「帆立小屋」で食べた新鮮な帆立貝に大いに満足した。
駅前の「帆立小屋」の帆立づくし
by rakuseijin653
| 2014-06-19 08:00
| 旅行・散策
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