2014年 09月 15日
富弘美術館 |
富弘美術館はわたらせ渓谷鉄道の桐生駅を出発して、車窓から渓谷を眺めながら50分ほど走った神戸(ごうど)駅からバスで15分ほどのところにある。星野富弘(1946~)の絵を集めたみどり市の市立美術館である。
星野富弘は同市の生まれ、群馬大学を卒業、中学校の体育教師として器械体操を実技している時、落下して頸髄を損傷、手足の自由を失うという事故にあった。24歳であった。 入院中から口にくわえた絵筆で絵を描き始め、退院後もベッドに横になったままそれを続け絵の才能を発揮していく。そのことを知らずに絵だけを観た者は、それが口にくわえた絵筆で描かれた障碍者の絵とは思わないであろう。
星野富弘が描く絵は当初花だけであったが、長いベッド生活を送った後、妻の介添えで車いすで移動できるところまで回復し、戸外で風景画も描くようになった。富弘美術館はそんな星野の絵を観てもらうために、1991年に勢多郡東村(現みどり市)村立として開館し、 2005年に新しく建て替えられたたものである。館内はいくつかの円形の展示室に分かれたユニークな設計である。青木湖(人造湖)のほとりにあるこの美術館を訪れたのは2006年9月であった。障碍者が描いた絵とは思えない作品を観ようと訪ねた人は、開館後2010年までの10年間で600万人に達した。バスツアーのコースにも組み込まれているほどである。
星野富弘画
星野富弘
富弘美術館
写真ははいずれも「google画像」による
星野富弘は同市の生まれ、群馬大学を卒業、中学校の体育教師として器械体操を実技している時、落下して頸髄を損傷、手足の自由を失うという事故にあった。24歳であった。 入院中から口にくわえた絵筆で絵を描き始め、退院後もベッドに横になったままそれを続け絵の才能を発揮していく。そのことを知らずに絵だけを観た者は、それが口にくわえた絵筆で描かれた障碍者の絵とは思わないであろう。
星野富弘が描く絵は当初花だけであったが、長いベッド生活を送った後、妻の介添えで車いすで移動できるところまで回復し、戸外で風景画も描くようになった。富弘美術館はそんな星野の絵を観てもらうために、1991年に勢多郡東村(現みどり市)村立として開館し、 2005年に新しく建て替えられたたものである。館内はいくつかの円形の展示室に分かれたユニークな設計である。青木湖(人造湖)のほとりにあるこの美術館を訪れたのは2006年9月であった。障碍者が描いた絵とは思えない作品を観ようと訪ねた人は、開館後2010年までの10年間で600万人に達した。バスツアーのコースにも組み込まれているほどである。
星野富弘画
星野富弘
富弘美術館
写真ははいずれも「google画像」による
by rakuseijin653
| 2014-09-15 08:00
| 美術
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