2014年 10月 01日
女優 矢口陽子 |
先の投稿記事「学徒動員で戦死した従兄の日記」は、戦局の悪化が日に日に高まっていく中で青春時代を送る苦悩が綴られているが、それでも映画鑑賞や読書の感想にもページを割いている。
4月17日(昭和19年)の日記には、映画「一番美しく」を観た感想が書かれている。主演は矢口陽子。戦前戦中の女優で、宮城千賀子、田中絹代、高峰秀子など戦後の映画界でも名前を知られた者もいるが、矢口陽子の名前は知らない。それもそのはずWikipediaで調べたら、この女優は「一番美しく」の監督、黒沢明と戦後間もなく結婚し、銀幕から引退したからである。1966年にヒットし今も時に歌われることがある「若者たち」を歌ったフォークバンドの黒沢久雄はその息子である。
従兄の日記
「四月十七日
もう4月は半ばを過ぎた。早いものだ。
夜、朝日館で『一番美しく』を観た。(略)あくまで明朗な新女性の健全な職員生活を取扱ってゐる。始から終まで明朗と真面目とが互いに〇〇して画面が生き生きとして気魄に富んでゐる。
何しろ演出の黒沢明が色んな修養書を読ませ撮影に当たった〇〇のからして、これが今までの恋愛を取扱った男女間の関係を描写したのではない事がわかる。若々しい映画だ。矢口陽子の演技も上々だ。他の女優も助けてくれた。
しかし、どこか作ったといふ処があるのは惜しい。
しかし、自分はこの映画は近代稀に見る傑作と思ふ。
黒沢明は先に『姿三四郎』で演出を努めたが、彼を期待する処大だ」
「『この一番美しく』は時局便乗映画で処々にいやな感を起こす処があるが、大体に於てよく練れてゐて時局便乗的なものを超越してゐる。」
*○は判読難
「一番美しく」は、「姿三四郎」に続く黒沢明の第二作である。この時黒沢34歳。この映画の中で黒沢は、女工たちが工場で敵国アメリカと戦う兵器生産のために懸命に働いている場面で、敵国アメリカの作曲家スーザの行進曲を使っている。にもかかわらず、検閲官は何も文句を言わなかったという(Wikipedia)。黒沢は意図的にこの曲を選んだのだが、検閲官には画面に流れる曲がまさかアメリカの作曲家によるものとは、その知識がなかったのであろう。大間抜けな話だ。
従兄はこの新人監督に対して「彼を期待する処大だ」と、将来黒沢が巨匠たる地位に立つことを予言しているかのような評論を加えている。生きてその活躍を見たかったであろう。
映画「一番美しく」
矢口陽子
~ ~ ~ ~ ~ ~
従兄の日記
「四月十七日
もう4月は半ばを過ぎた。早いものだ。
夜、朝日館で『一番美しく』を観た。(略)あくまで明朗な新女性の健全な職員生活を取扱ってゐる。始から終まで明朗と真面目とが互いに〇〇して画面が生き生きとして気魄に富んでゐる。
何しろ演出の黒沢明が色んな修養書を読ませ撮影に当たった〇〇のからして、これが今までの恋愛を取扱った男女間の関係を描写したのではない事がわかる。若々しい映画だ。矢口陽子の演技も上々だ。他の女優も助けてくれた。
しかし、どこか作ったといふ処があるのは惜しい。
しかし、自分はこの映画は近代稀に見る傑作と思ふ。
黒沢明は先に『姿三四郎』で演出を努めたが、彼を期待する処大だ」
「『この一番美しく』は時局便乗映画で処々にいやな感を起こす処があるが、大体に於てよく練れてゐて時局便乗的なものを超越してゐる。」
*○は判読難
「一番美しく」は、「姿三四郎」に続く黒沢明の第二作である。この時黒沢34歳。この映画の中で黒沢は、女工たちが工場で敵国アメリカと戦う兵器生産のために懸命に働いている場面で、敵国アメリカの作曲家スーザの行進曲を使っている。にもかかわらず、検閲官は何も文句を言わなかったという(Wikipedia)。黒沢は意図的にこの曲を選んだのだが、検閲官には画面に流れる曲がまさかアメリカの作曲家によるものとは、その知識がなかったのであろう。大間抜けな話だ。
従兄はこの新人監督に対して「彼を期待する処大だ」と、将来黒沢が巨匠たる地位に立つことを予言しているかのような評論を加えている。生きてその活躍を見たかったであろう。
映画「一番美しく」
矢口陽子
by rakuseijin653
| 2014-10-01 08:00
| 人生
|
Comments(2)
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by
元寇
at 2015-03-27 00:07
x
本当に検閲官がスーザの楽曲を使っているとは知らなかったとお思いなんですか?
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Commented
by
rakuseijin653 at 2015-03-30 10:22
元寇様
検閲官がスーザの楽曲を使っていることを知っていた裏付となる資料などを、お示しいただければ幸いです。
検閲官がスーザの楽曲を使っていることを知っていた裏付となる資料などを、お示しいただければ幸いです。