2015年 05月 27日
消えない軍歌の記憶 |
齢(よわい)80年に近づこうとしているのに子供のころに歌っていた軍歌を、いまだに何気なく口ずさむことがある。
生命(いのち)栄えある朝ぼらけ 讃えて送る一億の
ネットで歌詞を検証すると、やはり子供なりに勘違いして覚えていたところもあるが、一番だけとはいえ70年以上経ってもほぼ正確に記憶していることに、われながら驚く。この時代の軍国少年はみな同じだろう。この記憶力は、「最近のことはすぐ忘れるが、昔のことはよく覚えている」ということとは“記憶の性質”?が違うように思う。
軍歌(戦時歌謡・軍国歌謡)がわが脳裏に入り込んだのはもちろん戦時中であるが、それは戦局が切迫した昭和19年から20年の夏までわずか1年半ほどの期間に過ぎない。7歳から9歳、小学校2年生から、3年生の8月にかけてインプットされた軍歌を、どのようにして覚えたのだろう。
学校の音楽の時間に軍歌は教えなかったと思うし、ラジオで毎日繰り返して流れる軍歌が記憶の源であろうが、それとて小学生の身で一日中ラジオを聞いているわけではない。日常生活全体が戦時体制一色、戦意高揚に満ちた空気の中で、自然に洗脳されるが如く脳裏に浸みこんでいったのだろう。友達と戦争ごっこをして遊ぶのが常であったが、合間に誰とはなしに軍歌を歌うこともあったかもしれない。子供たちは、意味も分からず無邪気に軍歌を歌っていたというより、「銃後を守る」大人たちと一体になった気分でいたように思う。恐ろしいことだ。
今も記憶が消えない軍歌のいくつか。制作年を見ると、<空の神兵>のほかは日中戦争のころに作られたものとわかる。これらの軍歌は太平洋戦争時も、そのまま戦意高揚歌として大いに活用された。
軍歌(戦時歌謡・軍国歌謡)がわが脳裏に入り込んだのはもちろん戦時中であるが、それは戦局が切迫した昭和19年から20年の夏までわずか1年半ほどの期間に過ぎない。7歳から9歳、小学校2年生から、3年生の8月にかけてインプットされた軍歌を、どのようにして覚えたのだろう。
学校の音楽の時間に軍歌は教えなかったと思うし、ラジオで毎日繰り返して流れる軍歌が記憶の源であろうが、それとて小学生の身で一日中ラジオを聞いているわけではない。日常生活全体が戦時体制一色、戦意高揚に満ちた空気の中で、自然に洗脳されるが如く脳裏に浸みこんでいったのだろう。友達と戦争ごっこをして遊ぶのが常であったが、合間に誰とはなしに軍歌を歌うこともあったかもしれない。子供たちは、意味も分からず無邪気に軍歌を歌っていたというより、「銃後を守る」大人たちと一体になった気分でいたように思う。恐ろしいことだ。
今も記憶が消えない軍歌のいくつか。制作年を見ると、<空の神兵>のほかは日中戦争のころに作られたものとわかる。これらの軍歌は太平洋戦争時も、そのまま戦意高揚歌として大いに活用された。
戦後世代は、年端もいかぬ子供たちがこれらの軍歌をマジメな顔で歌っていた情景を想像できるだろうか。そしてこの歌詞を見て何を思うだろう。
<露営の歌>昭和12年
勝って来るぞと勇ましく 誓って故郷(くに)を出たからは
手柄立てずに死なりょうか 進軍ラッパ聞くたびに
瞼に浮かぶ旗の波
<加藤隼戦闘隊>昭和15年
エンジンの音 轟 轟と 隼は征く 空の果て
翼(よく)に輝く日の丸と 胸に描きし赤鷲の
印(しるし)は我らの 戦闘機
<空の神兵>昭和17年
藍より青く 大空に大空に 忽(たちま)ち開く 百千の
真白き薔薇の 花模様 見よ落下傘 空に降り
見よ落下傘空を征く 見よ落下傘空を征く
<空の勇士>昭和15年
恩賜の煙草を戴いて 明日は死ぬぞと決めた夜は
広野の風も暒(なまぐさ)く ぐっと睨んだ敵空に
星が瞬く二つ三つ
<愛国行進曲>昭和12年
見よ東海の空明けて 旭日高く輝けば
天地の正気溌剌と 希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお 晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ
<露営の歌>昭和12年
勝って来るぞと勇ましく 誓って故郷(くに)を出たからは
手柄立てずに死なりょうか 進軍ラッパ聞くたびに
瞼に浮かぶ旗の波
<加藤隼戦闘隊>昭和15年
エンジンの音 轟 轟と 隼は征く 空の果て
翼(よく)に輝く日の丸と 胸に描きし赤鷲の
印(しるし)は我らの 戦闘機
<空の神兵>昭和17年
藍より青く 大空に大空に 忽(たちま)ち開く 百千の
真白き薔薇の 花模様 見よ落下傘 空に降り
見よ落下傘空を征く 見よ落下傘空を征く
<空の勇士>昭和15年
恩賜の煙草を戴いて 明日は死ぬぞと決めた夜は
広野の風も暒(なまぐさ)く ぐっと睨んだ敵空に
星が瞬く二つ三つ
<愛国行進曲>昭和12年
見よ東海の空明けて 旭日高く輝けば
天地の正気溌剌と 希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお 晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠の揺るぎなき わが日本の誇りなれ
<出征兵士に送る歌>昭和14年
我が大君に召されたる
歓呼は高く天を衝く
いざ征(ゆ)け つわもの 日本男児!
~ ~ ~ ~ ~ ~
by rakuseijin653
| 2015-05-27 08:00
| 雑記
|
Comments(1)
Commented
by
rakuseijin653 at 2015-09-26 23:21
森嶋道夫氏の著作「血にコクリコの花咲けば」には、「空の神兵」は、流行歌であり軍歌ではない、とあります。当時も今も一般国民はそういう区別を認識していないのが実態でしょう。森嶋氏は海軍将校として戦時中大村航空基地の任務にあった人です。
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