近衛文麿は無能な宰相だったのか? |
近衛文麿は華族ながらお仕着せの道を進まず、学習院中等科から一高、東大に進むも中退、河上肇、西田幾多郎に傾倒して京都大学で学んだ。世襲で貴族院議員となり議長にもなるが、望んで首相になったわけではない。政党政治家が信頼を失い軍人内閣も軍内部の権力争いで安定しない中で、元老西園寺公望に推されて一旦は断りながら2度目の勅命でしぶしぶ首相になっている。就任後2か月で日中戦争に突入したが、それは就任以前に“お膳立て”されていたものである。
井上成美(海軍大将)は戦後、近衛を評して言った。
「近衛という人は常に他力本願で、海軍に一言やれないと言わせれば自分は楽だという考え方なんです。事は国家百年の運命が決するかも知れない場合なんです。そうでなくても責任感の薄い、優柔不断の近衛公に、(山本五十六が)半年一年ならたっぷり暴れて見せるというような曖昧な表現をすれば、素人は判断を誤るんです」(「井上成美」阿川弘之著・新潮社)
また猪木正道(歴史学者)はその著書で言う。
「近衛文麿公爵は優柔不断で定見がなく、全く気紛れな素人政治家であった。彼はとどまるところを知らない陸軍の暴走に対して、陸軍という虎を乗りこなすことによって先手をとるという方針をもっていた。もちろん、虎を乗りこなすことなどできるはずはないので、近衛公爵の先手主義は予想通り完全な失敗に終わった。近衛公爵の先手主義は、日本が周りの国すべてを敵とする自爆戦争に突入する上において、決定的な責任を負うことになる」(「軍国日本の興亡」・中公新書)
近衛は対中国政策を後に反省しているが、基本的に大陸での領土拡張政策を譲らない陸軍の強硬姿勢のままで蒋介石との和平が成立したとは限らず、「近衛声明」がなかったなら日中戦争が終結していた、とは断定できないだろう。
客観的に見るならこの時東条率いる陸軍を抑えることは、天皇以外誰もできなかったのである。ところがあろうことか、天皇は木戸内大臣の支持する東条に首相の勅命を下したのだ。近衛が「内閣を無責任に放り出した」とは言えまい。
*「天皇への上奏文」昭和20年2月
「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候。以下此の前提の下に申述候。(略)
戦局への前途につき、何らか一縷でも打開の望みありというならば格別なれど、敗戦必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込みなき戦争を之以上継続するは、全く共産党の手に乗るものと存候。随つて国体護持の立場よりすれば、一日も速に戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信仕候。戦争終結に対する最大の障害は、満洲事変以来今日の事態にまで時局を推進し来りし、軍部内の彼の一味の存在なりと存候。彼等はすでに戦争遂行の自信を失い居るも、今までの面目上、飽くまで抵抗可致者と存ぜられ候。(略)」
以下は天皇と近衛との最終問答である。天皇が上奏文を聞き入れなかったことで、後の凄惨な結末を迎えるのである。
天皇「もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う。」
近衛「そういう戦果が挙がれば、誠に結構と思われますが、そういう時期がございましょうか」
近衛は「内閣を途中で投げ出す無責任な男」と評されるが、途中で投げ出した首相は以下のように数多(あまた)いる。
昭和2年4月 田中内閣発足(出身:陸軍)
昭和3年6月 張作霖爆殺
昭和4年6月 田中内閣総辞職(2年2か月) 浜口内閣発足(官僚)
昭和5年11月 浜口首相狙撃され重傷
昭和6年6月 浜口内閣総辞職 若槻内閣発足(官僚) 9月満州事変勃発 12月 若槻内閣総辞職(6か月) 12月 犬養内閣発足(政友会)
昭和7年5月 犬養内閣総辞職(5か月) 斉藤内閣発足(海軍)
昭和8年2月 国連脱退
昭和9年7月 斉藤内閣総辞職(1年2か月) 岡田内閣発足(海軍)
昭和11年2月 2・26事件 岡田内閣総辞職(1年7か月) 3月 広田内閣発足(官僚)
昭和12年1月 広田内閣総辞職(10か月) 2月 林内閣発足(陸軍) 5月 林内閣総辞職(3か月) 6月 第一次近衛内閣発足(公家) 7月 盧溝橋事件 8月 日中戦争に発展
昭和13年1月 近衛声明(中国国民政府との和平交渉打ち切り)
昭和14年4月 近衛内閣総辞職(1年4か月) 5月 平沼内閣発足(官僚) 8月 平沼内閣総辞職(3か月) 阿部内閣発足(陸軍)
昭和15年1月 阿部内閣総辞職(5か月) 米内内閣発足(海軍) 7月 米内内閣総辞職(6か月) 第二次近衛内閣発足
昭和16年7月 第二次近衛内閣総辞職(1年1か月) 第三次近衛内閣発足
昭和16年10月 第三次近衛内閣総辞職(3か月) 東條内閣発足(陸軍)
昭和16年12月 真珠湾奇襲 米英宣戦布告
昭和19年7月 東條内閣総辞職(2年9か月) 小磯内閣発足(陸軍)
昭和20年4月 小磯内閣総辞職 (9か月) 鈴木内閣発足(海軍)
昭和20年8月 無条件降伏 鈴木内閣総辞職(4か月) 東久邇宮内閣発足
(強調は引用者)
街々、学校、終日この話ばかりなり。
『硫黄島はもう駄目だな。いや、日本はもう駄目だな。公平に見て、日本は絶対にかちめがないな』
『この戦争を始めたのはいったい誰なんだ。一大誤算だったんだ。近衛さんはやっぱりえらかったな』
「昭和21年」→「昭和20年」