もう一つの「聖断」 |
昭和天皇に戦争を終結させる力があるのなら、開戦を阻止する力もあるはずである。ところが、1990年に明らかになった「独白録」で、天皇は次のように語っている。
「あの時に、日本が開戦していなければ、日本に内乱が起こり、自分が殺されていたであろう。内乱者もまた戦争を始めるであろうから、どっちみち開戦になるが、内乱者が行う戦争はもっと悲惨なものであったろう」「だから私の考えは正しかった」
何という自己弁護であろう。「内乱が起きる、自分が殺される。だから戦争に賛成した」と言うのである。その結果幾百万の国民が命を失い、国家を存亡の危機に陥れたことの責任は、この言葉からいささかも感じられない。独白録は1946年、東京裁判で天皇が戦争責任を問われるのではないかという状況の中で語ったものを、側近が記録したものである。この時天皇は病臥していたのだが、その身をおしてまで、必死に戦争責任の追求から逃れようとしていたのだ。敗戦直後のマッカーサーとの会談で天皇は、「自分はどうなってもかまわない」と言ったといわれるが、独白録の言葉とは矛盾していると言わざるを得ない。
昭和天皇は即位以来現人神と崇められ、国民は天皇が発する言葉にひれ伏した。国家統治の絶対権力者、軍の統帥権者天皇の命令に背く者なぞあろうはずがないのである。
昭和18年の学徒動員による海軍少尉であった経済学者・ロンドン大学教授森嶋通夫氏(1923-2004年)は、「独白録」の天皇の言葉について著書「血にコクリコの花咲けば・ある人生の記録」(朝日新聞社)で次のように述べている。
「開戦当時の民間人は絶対に内乱を起こす気もなければ、力もない(彼らは天皇や東条によって、そのように無力化されている)から、内乱をおこす者があるとすれば、それは軍人か皇族でしかない。しかし少なくとも海軍の90%が反乱に参加しないことは確実であり、陸軍といえども過半数が反乱軍に投じることはまず考えられない。日本の統帥権は天皇自身が握っており、そのことは一兵卒に至るまで繰り返し教えられているから、天皇を殺した反乱者を日本の軍人兵卒の過半数が支持するということは絶対にありえない。しかも海軍が支持していないような反乱軍が、どうしてアメリカに対して開戦することができようか」
「独白録の公表は、国民が信じている天皇が国民を信じていないことを国民に暴露し、その結果国民もまた天皇を尊敬しなくなるという事態を引き起こしているにちがいない」
「天皇が日本の平和勢力(一般の穏健な国民や普通の軍人、無名の兵士など)をなぜ信頼しなかったのかは理解に苦しむが、そういうことを問題にする以前に、『内乱を恐れて、外国に宣戦布告する』というロジックは全くの筋違いといわなければならない。絶対君主はそういう筋違いをするのが常だとはいえ」(強調は引用者)
近衛文麿の自死後公表された「近衛公手記」には、次のように書かれていた。
「日本憲法というものは天皇親政の建前であって、英国の憲法とは根本において相違があるのである。ことに統帥権の問題は、政府には全然発言権がなく、政府と統帥権との両方を抑え得るものは、陛下ただ御一人である。しかるに天皇が消極的であらせられる事は、平時には結構であるが、和戦いずれかというが如き、国家生死の関頭に立った場合には障碍が起こり得る場合なしとしない」(「昭和天皇の終戦史」吉田 裕・岩波新書)(強調は引用者)
この手記は天皇に届けられたが、側近の者に、「近衛は自分にだけ都合のよいことを言っているね」と「心外に思召された」という。開戦に反対した近衛を支えず、東条英機の言うがままに開戦に突き進みながらそのことから言い逃れする昭和天皇。「自分にだけ都合のよいことを言っている」のはどちらなのだろうか。
[開戦の勅書]
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス
朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所
而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ
今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル
洵ニ已ムヲ得サルモノアリ
豈朕カ志ナラムヤ
中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ
幸ニ國民政府更新スルアリ
帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス
米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス
剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス
斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ
事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
裕仁
昭和十六年十二月八日
国立公文書館ツイッターから
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