2016年 06月 06日
「日本丸」という薬があった |
戦時中から戦後にかけて、わが家には「日本丸」という常備薬があった。「にほんがん」と読む。漢方の万能薬である。
明治生まれの母は、何か身体の変調があると「日本丸」を服用、子供たちにものませていた。多分、風邪とか発熱、下痢などちょっとした身体の異変が生じたときにのんだのだろうと思うが、今から思い起こしてみるとこれが薬効抜群、家族全員大病を患ったことも医者にかかった記憶もない。「日本丸」は赤茶色の小さな粒錠で、子供の目で見ても小さなガラス瓶に入っていた。それを3-4粒ほど服用するのが常であったように記憶する。
大手製薬会社のありとあらゆる薬が市場にあふれる現代、「日本丸」は今も健在なのだろうか、とふと思い至りネットで検索してみると、「日本丸」のウエブサイトがあるのを知って驚いた。http://www.iwaoyakuho.com/about/history.html
それによると、「日本丸」そのもののは原料難で昭和40年(1965)に製造を止め、薬販売業として存続したが平成3年の台風被害で製造器に損害を受け廃業、建物は平成5年に「日本丸館」という資料館として保存されているのだという。
同サイトによると、
「日本丸」は、江戸末期安政2年(1855)、大分県日田(現在の日田市)で岩尾家により創業された。ユニークな宣伝が効いて売り上げを伸ばし、東京、大阪、名古屋、札幌、朝鮮、満州、ハワイ、ブラジルにまで販路を広げ、昭和18年(1943)には、ゼロ戦を一機寄付するほどの蓄財を築いたのだという。
平成3年(1991)に薬販売業を止めてからは、江戸時代から昭和にかけて増改築されてきた建物を一般公開して街の活性化の一端を担っている。「日本丸館」は、国登録有形文化財になっており、末代まで貴重な遺産を引き継ぐという後継者の理念は敬服に価する。
「日本丸」 ~ ~ ~ ~ ~ ~
明治生まれの母は、何か身体の変調があると「日本丸」を服用、子供たちにものませていた。多分、風邪とか発熱、下痢などちょっとした身体の異変が生じたときにのんだのだろうと思うが、今から思い起こしてみるとこれが薬効抜群、家族全員大病を患ったことも医者にかかった記憶もない。「日本丸」は赤茶色の小さな粒錠で、子供の目で見ても小さなガラス瓶に入っていた。それを3-4粒ほど服用するのが常であったように記憶する。
大手製薬会社のありとあらゆる薬が市場にあふれる現代、「日本丸」は今も健在なのだろうか、とふと思い至りネットで検索してみると、「日本丸」のウエブサイトがあるのを知って驚いた。http://www.iwaoyakuho.com/about/history.html
それによると、「日本丸」そのもののは原料難で昭和40年(1965)に製造を止め、薬販売業として存続したが平成3年の台風被害で製造器に損害を受け廃業、建物は平成5年に「日本丸館」という資料館として保存されているのだという。
同サイトによると、
「日本丸」は、江戸末期安政2年(1855)、大分県日田(現在の日田市)で岩尾家により創業された。ユニークな宣伝が効いて売り上げを伸ばし、東京、大阪、名古屋、札幌、朝鮮、満州、ハワイ、ブラジルにまで販路を広げ、昭和18年(1943)には、ゼロ戦を一機寄付するほどの蓄財を築いたのだという。
平成3年(1991)に薬販売業を止めてからは、江戸時代から昭和にかけて増改築されてきた建物を一般公開して街の活性化の一端を担っている。「日本丸館」は、国登録有形文化財になっており、末代まで貴重な遺産を引き継ぐという後継者の理念は敬服に価する。
「日本丸」
by rakuseijin653
| 2016-06-06 08:00
| 雑記
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