2016年 09月 16日
太平洋戦争は自衛戦争だった? |
太平洋戦争は自衛戦争だったという主張がある。
特に東京裁判を否定したい右翼論壇では、1951年5月、マッカーサーが米国議会上院公聴会で行った証言をたてにして、日本による開戦を「自衛のため」だったと正当化する。これに反論する側は、マッカーサーはその証言のなかで、決して日本が戦争を始めたのは自衛のためだったとは言っていないと主張し、水掛け論に終始している。
マッカーサー証言の問題になっているのは下記の赤文字の部分だ。
"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security."
これを抄訳すれば、「資源の乏しい日本は、生き残る(安全保証)ために戦争に突入した」ということだが、ここで “ security” を一方は「自衛」と解釈し、他方は security の意味は、「安全/安全保障」であり、マッカーサーは“self-defense"「自衛」とは言っていないと反論する。
だがどちらの主張も自分に都合の良い解釈をしているのである。Oxford Dictionary に、national security=national defense との例示があり、文脈によって security に国家防衛=自衛の意味があると解釈することは可能であろう。
だからと言って右翼が言うように、マッカーサーは、日本が自衛のためやむを得ず戦争を始めたことを「正当化する」ことを認めたわけではなかろう。日本の正当化を認めることは極東軍事裁判(東京裁判)の否定になり、マッカーサーの立場でそれはありえようがない。日本が戦争を始めた背景を解釈しただけであり、それによって日本による開戦の正当性が認められたとするのは、自分に都合のよい解釈である。
歴史の事実を観れば太平洋戦争は、日本が国内の経済的閉塞状態を打破するために「中国を侵略して得た権益を守るための自衛戦争」であった。しかし、その戦争に負けたということは、中国侵略で得た権益の「正当性」が否定されたということになる。 すなわち、自衛戦争の根拠が否定されたのであり、自衛戦争そのものの正当性が否定されたことを意味する。「戦争に負ける」ということは、そういうことなのである。
特に東京裁判を否定したい右翼論壇では、1951年5月、マッカーサーが米国議会上院公聴会で行った証言をたてにして、日本による開戦を「自衛のため」だったと正当化する。これに反論する側は、マッカーサーはその証言のなかで、決して日本が戦争を始めたのは自衛のためだったとは言っていないと主張し、水掛け論に終始している。
マッカーサー証言の問題になっているのは下記の赤文字の部分だ。
"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security."
これを抄訳すれば、「資源の乏しい日本は、生き残る(安全保証)ために戦争に突入した」ということだが、ここで “ security” を一方は「自衛」と解釈し、他方は security の意味は、「安全/安全保障」であり、マッカーサーは“self-defense"「自衛」とは言っていないと反論する。
だがどちらの主張も自分に都合の良い解釈をしているのである。Oxford Dictionary に、national security=national defense との例示があり、文脈によって security に国家防衛=自衛の意味があると解釈することは可能であろう。
だからと言って右翼が言うように、マッカーサーは、日本が自衛のためやむを得ず戦争を始めたことを「正当化する」ことを認めたわけではなかろう。日本の正当化を認めることは極東軍事裁判(東京裁判)の否定になり、マッカーサーの立場でそれはありえようがない。日本が戦争を始めた背景を解釈しただけであり、それによって日本による開戦の正当性が認められたとするのは、自分に都合のよい解釈である。
歴史の事実を観れば太平洋戦争は、日本が国内の経済的閉塞状態を打破するために「中国を侵略して得た権益を守るための自衛戦争」であった。しかし、その戦争に負けたということは、中国侵略で得た権益の「正当性」が否定されたということになる。 すなわち、自衛戦争の根拠が否定されたのであり、自衛戦争そのものの正当性が否定されたことを意味する。「戦争に負ける」ということは、そういうことなのである。
戦争とは、「国益のためにそれぞれが正義を掲げて戦うこと」である。日本の正義は、「国益のために中国に侵略して得た権益を守る」ということであった。連合国の正義は、日本による中国独占支配を防ぐことであった。日本は敗者となりその正義は否定されたのである。自国の正義を相手に認めさせることが戦争である以上、敗者の正義が認められる戦争などありえない。この冷厳な事実を右翼は理解できず、いつまでも泣き言を言う。実に情けない「負け犬の遠吠え」である。
そもそも太平洋戦争は、国力を考えずに無謀に仕掛けた“間違った戦争”であった。 猪木正道元防衛大学校校長が名付けた「自爆戦争」という命名が、この戦争を象徴的に表している。
過去を否定し正当化するところに何も生まれない。我々がなすべきことは過去の過ちを教訓として、それを未来につなぐことである。
なお、この公聴会は、1950年に始まった朝鮮戦争の真っただ中、北朝鮮の援軍として参戦した中国への攻撃を巡って政府と対立したマッカーサーが51年4月に解任されて行われたもので、主題はあくまで対中国戦略である。
なお、この公聴会は、1950年に始まった朝鮮戦争の真っただ中、北朝鮮の援軍として参戦した中国への攻撃を巡って政府と対立したマッカーサーが51年4月に解任されて行われたもので、主題はあくまで対中国戦略である。
アメリカは、日本の中国独占支配を阻止するという正義を掲げて戦い蒋介石中国から日本を排除したが、結果として毛沢東による共産党支配を許し中国と敵対することになった。中国の「門戸開放」という目的は実現できず、その意味では何のために大きな犠牲をはらってまで日本と戦争したのかということになった。
中国のその後の経済開放政策により市場への参入は可能になったが、経済力の向上に伴い中国は軍事大国となり米中はアジアの覇権を争っている。歴史の皮肉である。
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by rakuseijin653
| 2016-09-16 08:00
| 戦争
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Comments(1)
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by
rakuseijin653 at 2019-06-01 21:22
松尾文夫「日本軍からソ連軍が接収した武器の供与などで中国共産党軍が力をつけ、蒋介石軍とのその後の内戦での勝利に結びついた」『アメリカと中国』岩波書店・302頁
「共産党林彪軍がソ連から旧日本軍の武器を譲られて強化されるや、急速に北満州を占領し、北進してくる国民政府軍と激戦を交えたのである」同書306頁
「共産党林彪軍がソ連から旧日本軍の武器を譲られて強化されるや、急速に北満州を占領し、北進してくる国民政府軍と激戦を交えたのである」同書306頁
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