2017年 03月 16日
井上達夫の徴兵制論 |
井上教授の9条削除論には続きがある。戦力をもつなら「徴兵制」を憲法で規定せよ、というものである。徴兵制を導入することによって、国民が戦争を“他人事”と考えなくなる、というのが論拠である。この場合、良心的兵役拒否をセットにするとしている。前掲本「憲法の涙」から傾聴に値すると思うところを以下、並べる。
「安全保障戦略の基本は憲法で凍結すべきではないが、どのような戦略が選ばれようと、それが濫用されないための戦力統制規範は憲法に入れるべきである。戦力をもつなら条件付け制約として、徴兵制を入れるべきだ。
徴兵制は、国民が無責任な好戦感情にあおられないための歯止めである。志願制で、一部の知らない人たちが遠いところで戦争をしている限り、国民は真剣に考えない。徴兵制下で戦争を決断したら、そのコストは自分たちに跳ね返る。自分や家族が死ぬかもしれない。人を銃で撃たなければならなくなるかもしれない。だから戦争に慎重になる。ベトナム戦争のとき、アメリカでは徴兵制があったから国民的規模の反戦運動が起こり、徴兵制を廃止したイラク侵攻では大きな反戦運動はなかった。
憲法18条「何人も、如何なる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰を除いては、その意に反する苦役に服させられない」という条文を追加変更しなければならない。(当然ながら)ここには徴兵制は入っていない。それは徴兵制が絶対に許されない苦役であるからではなく9条によって戦力をもちえないので、徴兵制はありえないからである。だから、徴兵制と良心的兵役拒否をセットにして憲法に盛り込む場合は、18条を改正して徴兵義務も入れなければならない。
国を守るための防衛徴兵制義務を奴隷制に例えるのは、そもそも倒錯的である。アメリカほどではないにしろ、日本でも比較的貧しい層が自衛隊に志願している。比較的豊かな層を、比較的貧しい層が軍事的に守る、という状態の方が奴隷制に近いと言える。志願制よりも、富裕層の家族も例外なく徴兵する方が、はるかに民主的である。徴兵制は戦力の行使に対し、民主的コントロールをする責任を、国民に自覚させるための制度である。
徴兵制によって常備軍に組み込む必要はない。訓練を受けた後予備役として登録され、一朝ことがあったとき動員される可能性があるということである。徴兵制にして一般国民が職業軍人と一緒になることによって、職業軍人に対する理解を深めると同時に、軍隊を、国民と対立する危険性を秘めた特殊の自閉的武装集団ではなく、(スイスのように)『われわれ市民の軍隊』にするという意識が国民に出てくると思う」(強調は引用者)
実の所今の日本では、「徴兵制」という言葉を聞いただけで反射的に軍事国家をイメージしての反発(拒否反応)は免れないであろうし、井上の論説も「理解はできるが理想論」というレベルでなかなか議論には発展しないような気がする。井上論説の核心は、9条削除論にしても徴兵制導入論にしても、曖昧な憲法解釈でやり通し、安全保障を他人任せにする国民意識の変化を求めていることにある。
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「安全保障戦略の基本は憲法で凍結すべきではないが、どのような戦略が選ばれようと、それが濫用されないための戦力統制規範は憲法に入れるべきである。戦力をもつなら条件付け制約として、徴兵制を入れるべきだ。
徴兵制は、国民が無責任な好戦感情にあおられないための歯止めである。志願制で、一部の知らない人たちが遠いところで戦争をしている限り、国民は真剣に考えない。徴兵制下で戦争を決断したら、そのコストは自分たちに跳ね返る。自分や家族が死ぬかもしれない。人を銃で撃たなければならなくなるかもしれない。だから戦争に慎重になる。ベトナム戦争のとき、アメリカでは徴兵制があったから国民的規模の反戦運動が起こり、徴兵制を廃止したイラク侵攻では大きな反戦運動はなかった。
憲法18条「何人も、如何なる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰を除いては、その意に反する苦役に服させられない」という条文を追加変更しなければならない。(当然ながら)ここには徴兵制は入っていない。それは徴兵制が絶対に許されない苦役であるからではなく9条によって戦力をもちえないので、徴兵制はありえないからである。だから、徴兵制と良心的兵役拒否をセットにして憲法に盛り込む場合は、18条を改正して徴兵義務も入れなければならない。
国を守るための防衛徴兵制義務を奴隷制に例えるのは、そもそも倒錯的である。アメリカほどではないにしろ、日本でも比較的貧しい層が自衛隊に志願している。比較的豊かな層を、比較的貧しい層が軍事的に守る、という状態の方が奴隷制に近いと言える。志願制よりも、富裕層の家族も例外なく徴兵する方が、はるかに民主的である。徴兵制は戦力の行使に対し、民主的コントロールをする責任を、国民に自覚させるための制度である。
徴兵制によって常備軍に組み込む必要はない。訓練を受けた後予備役として登録され、一朝ことがあったとき動員される可能性があるということである。徴兵制にして一般国民が職業軍人と一緒になることによって、職業軍人に対する理解を深めると同時に、軍隊を、国民と対立する危険性を秘めた特殊の自閉的武装集団ではなく、(スイスのように)『われわれ市民の軍隊』にするという意識が国民に出てくると思う」(強調は引用者)
実の所今の日本では、「徴兵制」という言葉を聞いただけで反射的に軍事国家をイメージしての反発(拒否反応)は免れないであろうし、井上の論説も「理解はできるが理想論」というレベルでなかなか議論には発展しないような気がする。井上論説の核心は、9条削除論にしても徴兵制導入論にしても、曖昧な憲法解釈でやり通し、安全保障を他人任せにする国民意識の変化を求めていることにある。
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by rakuseijin653
| 2017-03-16 08:00
| 思想
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