2017年 05月 06日
渡辺京二の「北一輝」論 |
渡辺京二の「北一輝」(筑摩書房)を読んだ。北一輝については、226事件を起こした青年将校に影響を与えた思想家であるということ以外の知識はなかった。226事件は天皇親政を求めた皇道派青年将校によるクーデターであったから、当然彼らの理論的指導者とされる北一輝の思想信条も同じだと思い込んでいた。ところがそれは、全く間違いであったのだ。北一輝は教育勅語も否定していた。
渡辺は言う。「北は今日でもある種の人びとから、その生涯のモチーフが日本近代天皇制の正当化にあったかに思い誤られている思想家である」
北一輝への“誤解”は凡人のみの無知ではなかったのだ。
渡辺京二はこの著作で、天才北一輝が23歳で著した「国体論及び純正社会主義」(1906年)や「日本改造法案大綱」(1923年)などを眼光紙背に徹して読み込んで、北が目指す改革の究極の目標を説き明かし、世の誤解を指摘した。以下長くなるが、引用。
「北の思想の骨格をごく表面的に要約すれば、天皇制打倒と大陸膨張主義の特異な結合、すなわち天皇なき革命的大帝国主義と形容してさしつかえない。この帝国主義は強者の帝国主義に対抗する弱者の帝国主義であり、アジアの黄人種にとっては自衛権というべく、、、云々」
「彼は何よりもまず、明治の天皇制国家を敵とみなし、その止揚の方途をさぐった思想家なのである。思わずもらしてしまった共和政治という隻語はかりそめのものではなかった。
北は、天皇制絶対主義体制を廃棄したあとに実現される社会を社会主義社会と信じていた。だから彼の課題は、天皇制絶対主義の廃棄とブルジョアジーの打倒という二つの任務を、いかに同時に遂行するかということであった。北が従来正体のわからぬ思想家のようにみなされて来たのは、その解のユニークさのためである。農本ファシスト、ウルトラナショナリスト、天皇制軍事膨張主義者、革命的ロマン主義者等々の北の一面を覆うにすぎぬ規定が、ここから続出した」
「北は何よりもまず、明治天皇制国家が、そのもとで生きる人間の魂を圧殺することへの怒りから、革命家となった人である。
北は、明治三十年代の国家は、帝国憲法の水準では社会主義国家であるが、藩閥政府とブルジョアジー・地主の支配する資本制国家であると把握した。さらに、日本ではすでに維新革命によって法的には社会主義国家なのであるから、来たるべき社会主義革命は、教育勅語水準の天皇専制主義を反国体、憲法違反として無化し、ブルジョアジー・地主の経済的階級支配を廃絶する第二維新、すなわち補足的な経済革命で十分である、と主張した。
わが国の知的カースト社会の住人達には、これは何ともわけのわからぬ論理に見えるらしい。とくに問題になるのは、明治国家を北が社会主義国家と規定する点である。戦後イデオロギーの見地からすれば、北がそれを『民主国』と規定するのさえ許しがたいのに、社会主義呼ばわりするなど正気の沙汰とも思えないのである。この点で北を批判する人間は、昔から大勢いた。だから彼らは、北の論理を無心に読み解くことから始めず、自身の知的常識やイデオロギー的尺度から裁くことのみを急いだ。つまり批判者自身がわけがわからなくなってくる次第で、『理解に苦しむ混沌たる思想』と罵って自らを慰めた」
「明治国家における天皇は、維新革命のために擁立された国家の道具にすぎないのであり、それまでの日本歴史にかって存在しなかったような、独特な歴史的な範疇であって、たとえ『天皇』という共通の呼称をもっているからといって、明治国家の天皇に古代的天皇の神権的性格を付会するのは、理論的にも実践的にも許されぬ誤謬だというのが、彼の『科学的』認識であったのである。
彼の考えでは、維新革命直前の天皇は、衰亡に瀕した古代専制性の遺制、プラスとるにたりぬ京都近傍の小封建君主で、もし維新革命の指導者がうち棄てておいたならば、革命のもたらす外光と外気に触れて、遠からず頽然とくずれ落ちるような存在にすぎなかった。そのような天皇がなぜ、創設された日本近代国民国家の君主となりえたのか。北の考えでは、それは国家の必要からの擁立であって、その意味では天皇は明治国家の完全な被造物である。もちろんあからさまには書いていないが、天皇はどうしようもなく落ちぶれていたのを、国民が必要と認めて拾い上げてやったのだ、という感覚が北にあったのは疑う余地がない。
北は、天皇は千年このかた日本『家長国』の支配者であったことは一度もないと、力説している。近代天皇は国家の必要から擁立された『機関』であって、国民の支配者などではないと主張しているのである。
彼には、国民が拾い上げてやった天皇が、自分が神権的国王であるかに思いちがえて、国民に対して支配者然と君臨しようとするのは、許しがたい反革命的倒錯とし、天皇を『国家の一機関』と規定しさらに『特権ある国民』と念をおした。国民と天皇が持っている権利義務は、それぞれに対する権利義務ではなく、国家に対する権利義務だと彼はいう」
(強調は引用者)
北がここで、天皇機関説を唱えているのは意外であった。渡辺はそれを美濃部達吉に学んだふしがあるとしているが、美濃部より先に世に問うていることになる。また北は「日本改造法案大綱」で、八時間労働、幼児労働の禁止、婦人労働の平等など、戦後民主主義を先取りするような提議をしている。彼は、中国への侵略的行動を非難しており、欧米に対抗すべく日支同盟を目指して行動している。さらに、アメリカと戦争すれば日本は破滅すると予言していることにも驚く。
226事件は北が計画したわけでもなく指導したのでもなかった。事件を起こした青年将校たちは、「北の『天皇観』を理解しているものは誰ひとりいなかった」が、北のブルジョアジー打倒という社会革命の思想を信奉する弟子であったことは間違いなく、北は彼らの刑死を見て最終的には取り調べ官に責任を認めて後を追った。
この「北一輝」を著した渡辺京二のスタンスは、北一輝を擁護するのでもなく批判するものでもない。世間の誤解を解いて「正しい北一輝観」を論じたものと言える。 ~ ~ ~ ~ ~ ~
渡辺は言う。「北は今日でもある種の人びとから、その生涯のモチーフが日本近代天皇制の正当化にあったかに思い誤られている思想家である」
北一輝への“誤解”は凡人のみの無知ではなかったのだ。
渡辺京二はこの著作で、天才北一輝が23歳で著した「国体論及び純正社会主義」(1906年)や「日本改造法案大綱」(1923年)などを眼光紙背に徹して読み込んで、北が目指す改革の究極の目標を説き明かし、世の誤解を指摘した。以下長くなるが、引用。
「北の思想の骨格をごく表面的に要約すれば、天皇制打倒と大陸膨張主義の特異な結合、すなわち天皇なき革命的大帝国主義と形容してさしつかえない。この帝国主義は強者の帝国主義に対抗する弱者の帝国主義であり、アジアの黄人種にとっては自衛権というべく、、、云々」
「彼は何よりもまず、明治の天皇制国家を敵とみなし、その止揚の方途をさぐった思想家なのである。思わずもらしてしまった共和政治という隻語はかりそめのものではなかった。
北は、天皇制絶対主義体制を廃棄したあとに実現される社会を社会主義社会と信じていた。だから彼の課題は、天皇制絶対主義の廃棄とブルジョアジーの打倒という二つの任務を、いかに同時に遂行するかということであった。北が従来正体のわからぬ思想家のようにみなされて来たのは、その解のユニークさのためである。農本ファシスト、ウルトラナショナリスト、天皇制軍事膨張主義者、革命的ロマン主義者等々の北の一面を覆うにすぎぬ規定が、ここから続出した」
「北は何よりもまず、明治天皇制国家が、そのもとで生きる人間の魂を圧殺することへの怒りから、革命家となった人である。
北は、明治三十年代の国家は、帝国憲法の水準では社会主義国家であるが、藩閥政府とブルジョアジー・地主の支配する資本制国家であると把握した。さらに、日本ではすでに維新革命によって法的には社会主義国家なのであるから、来たるべき社会主義革命は、教育勅語水準の天皇専制主義を反国体、憲法違反として無化し、ブルジョアジー・地主の経済的階級支配を廃絶する第二維新、すなわち補足的な経済革命で十分である、と主張した。
わが国の知的カースト社会の住人達には、これは何ともわけのわからぬ論理に見えるらしい。とくに問題になるのは、明治国家を北が社会主義国家と規定する点である。戦後イデオロギーの見地からすれば、北がそれを『民主国』と規定するのさえ許しがたいのに、社会主義呼ばわりするなど正気の沙汰とも思えないのである。この点で北を批判する人間は、昔から大勢いた。だから彼らは、北の論理を無心に読み解くことから始めず、自身の知的常識やイデオロギー的尺度から裁くことのみを急いだ。つまり批判者自身がわけがわからなくなってくる次第で、『理解に苦しむ混沌たる思想』と罵って自らを慰めた」
「明治国家における天皇は、維新革命のために擁立された国家の道具にすぎないのであり、それまでの日本歴史にかって存在しなかったような、独特な歴史的な範疇であって、たとえ『天皇』という共通の呼称をもっているからといって、明治国家の天皇に古代的天皇の神権的性格を付会するのは、理論的にも実践的にも許されぬ誤謬だというのが、彼の『科学的』認識であったのである。
彼の考えでは、維新革命直前の天皇は、衰亡に瀕した古代専制性の遺制、プラスとるにたりぬ京都近傍の小封建君主で、もし維新革命の指導者がうち棄てておいたならば、革命のもたらす外光と外気に触れて、遠からず頽然とくずれ落ちるような存在にすぎなかった。そのような天皇がなぜ、創設された日本近代国民国家の君主となりえたのか。北の考えでは、それは国家の必要からの擁立であって、その意味では天皇は明治国家の完全な被造物である。もちろんあからさまには書いていないが、天皇はどうしようもなく落ちぶれていたのを、国民が必要と認めて拾い上げてやったのだ、という感覚が北にあったのは疑う余地がない。
北は、天皇は千年このかた日本『家長国』の支配者であったことは一度もないと、力説している。近代天皇は国家の必要から擁立された『機関』であって、国民の支配者などではないと主張しているのである。
彼には、国民が拾い上げてやった天皇が、自分が神権的国王であるかに思いちがえて、国民に対して支配者然と君臨しようとするのは、許しがたい反革命的倒錯とし、天皇を『国家の一機関』と規定しさらに『特権ある国民』と念をおした。国民と天皇が持っている権利義務は、それぞれに対する権利義務ではなく、国家に対する権利義務だと彼はいう」
(強調は引用者)
北がここで、天皇機関説を唱えているのは意外であった。渡辺はそれを美濃部達吉に学んだふしがあるとしているが、美濃部より先に世に問うていることになる。また北は「日本改造法案大綱」で、八時間労働、幼児労働の禁止、婦人労働の平等など、戦後民主主義を先取りするような提議をしている。彼は、中国への侵略的行動を非難しており、欧米に対抗すべく日支同盟を目指して行動している。さらに、アメリカと戦争すれば日本は破滅すると予言していることにも驚く。
226事件は北が計画したわけでもなく指導したのでもなかった。事件を起こした青年将校たちは、「北の『天皇観』を理解しているものは誰ひとりいなかった」が、北のブルジョアジー打倒という社会革命の思想を信奉する弟子であったことは間違いなく、北は彼らの刑死を見て最終的には取り調べ官に責任を認めて後を追った。
この「北一輝」を著した渡辺京二のスタンスは、北一輝を擁護するのでもなく批判するものでもない。世間の誤解を解いて「正しい北一輝観」を論じたものと言える。
by rakuseijin653
| 2017-05-06 08:00
| 思想
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