2017年 10月 05日
戦犯を自主裁判する構想はあった |
日本の戦後は、敗戦とのけじめをつけないままスタートした。天皇が道義的にも戦争責任をとって退任することはなかったし、日本国憲法は大日本帝国憲法の改正という形をとった。そして自ら戦争責任者を処断することなく、連合国による裁判にのみゆだねた。国家のこの曖昧な決着が一部日本人の歴史認識を誤らせ、いまだに隣国からの信頼をえられなくしている。
戦争責任者の裁判については、当時の為政者は国民の飢餓など生活基盤の立て無しが優先事項であり、戦犯を自主的に裁判するという余裕はなかったのだろうと考えていた。 ところが、戦後すぐ、「戦争責任者の自主裁判構想」があったことを保坂正康氏の論文(サンデー毎日10月1日号)で知った。それによると、敗戦後1か月後の昭和20年9月12日、東久邇内閣の閣議で「戦争責任者裁判を日本独自で行おう」という案が検討され、そのあとの幣原内閣でも戦犯処罰法案作りが行われていたというのである。
以下、その概要
9月12日の前日、東条英機がピストルで自殺を図り失敗したのを見て、東久邇内閣で、「GHQに裁かれる前にこちらで裁判してしまえば、一事不再理の原則でアメリカ側は裁けない」「戦争責任者は日本側で独自に被告を選び裁判してしまおう」との諒解のもとで話し合われた。
木戸日記9月12日の記述にこうある。
「首相宮御参内、戦争犯罪人の処罰を我が国に於いて実行すること聯合国に申し入るることに閣議に於いて決定せられたるに、御上は敵側の所謂責任者は何れも嘗ては只管(ひたすら)忠誠を尽したる人々たるに、之を天皇の名に於いて処罰するは不忍ところなる故、再考の余地なきやと御尋ねあり」
天皇の意を受けて東久邇宮は、外相、陸相、海相、司法相及び近衛文麿と再度協議した結果、外相(重光葵)、司法相(岩田宙造)の「日本側で裁判を」という意見が結論になり上奏、天皇は「一定の範囲で認める」と了解した。
司法相岩田宙造の周辺の証言によると岩田は、「日本古来の風習としても、占領国が戦犯として身柄拘束を要求してくるのであれば、君主は臣下の者に因果を含め、その者の首を敵方に届けるというのが、真の武士道であり、それこそが臣下をいたわる最善の方法である」と説いたという。
しかしこの構想は、「われわれが考えている戦犯を日本側に引き渡すことはできない」というGHQによって拒否された。
その後幣原喜重郎内閣となり、聯合国による裁判構想が進んでいないと判断した外相吉田茂、司法相の岩田及び内閣書記官長次田大三郎は同年11月5日以降、具体的に次のような法案作りに動いた。
「民心ヲ安定シ国家秩序維持ニ必要ナル国民道義ヲ自主的ニ確立スルコトヲ目的トスル緊急勅令(案)」は12条からなりその1条には、
戦争責任者の裁判については、当時の為政者は国民の飢餓など生活基盤の立て無しが優先事項であり、戦犯を自主的に裁判するという余裕はなかったのだろうと考えていた。 ところが、戦後すぐ、「戦争責任者の自主裁判構想」があったことを保坂正康氏の論文(サンデー毎日10月1日号)で知った。それによると、敗戦後1か月後の昭和20年9月12日、東久邇内閣の閣議で「戦争責任者裁判を日本独自で行おう」という案が検討され、そのあとの幣原内閣でも戦犯処罰法案作りが行われていたというのである。
以下、その概要
9月12日の前日、東条英機がピストルで自殺を図り失敗したのを見て、東久邇内閣で、「GHQに裁かれる前にこちらで裁判してしまえば、一事不再理の原則でアメリカ側は裁けない」「戦争責任者は日本側で独自に被告を選び裁判してしまおう」との諒解のもとで話し合われた。
木戸日記9月12日の記述にこうある。
「首相宮御参内、戦争犯罪人の処罰を我が国に於いて実行すること聯合国に申し入るることに閣議に於いて決定せられたるに、御上は敵側の所謂責任者は何れも嘗ては只管(ひたすら)忠誠を尽したる人々たるに、之を天皇の名に於いて処罰するは不忍ところなる故、再考の余地なきやと御尋ねあり」
天皇の意を受けて東久邇宮は、外相、陸相、海相、司法相及び近衛文麿と再度協議した結果、外相(重光葵)、司法相(岩田宙造)の「日本側で裁判を」という意見が結論になり上奏、天皇は「一定の範囲で認める」と了解した。
司法相岩田宙造の周辺の証言によると岩田は、「日本古来の風習としても、占領国が戦犯として身柄拘束を要求してくるのであれば、君主は臣下の者に因果を含め、その者の首を敵方に届けるというのが、真の武士道であり、それこそが臣下をいたわる最善の方法である」と説いたという。
しかしこの構想は、「われわれが考えている戦犯を日本側に引き渡すことはできない」というGHQによって拒否された。
その後幣原喜重郎内閣となり、聯合国による裁判構想が進んでいないと判断した外相吉田茂、司法相の岩田及び内閣書記官長次田大三郎は同年11月5日以降、具体的に次のような法案作りに動いた。
「民心ヲ安定シ国家秩序維持ニ必要ナル国民道義ヲ自主的ニ確立スルコトヲ目的トスル緊急勅令(案)」は12条からなりその1条には、
「国体ノ順逆ヲ紊(みだり)テ天皇ノ補翼ヲ謬(あやま)リ 其ノ大平和精神ニ随順セズシテ主戦的、侵略的軍国主義ヲ以テ政治行政及国民ノ風潮ヲ主導シ又ハ指導ヲ輔(たす)ケ(略)満州事変、支那事変又ハ大東亜戦争ヲ挑発誘導シ 内外諸国ノ生命財産ヲ破壊シ且国体ヲ危殆ニ陥ラシメタル者施設又ハ社会組織ニ付之ヲ処断シ除却シ又ハ解消セシムルコトヲ以テ目的トス」
第2条には、「左ニ該当スル者ハ之ヲ反逆罪トシテ死刑又ハ無期謹慎ニ処ス」とあった。
「左ニ該当スル者」とは、
「一、天皇ノ命令ナクシテ兵ヲ動カシ 妄(みだり)ニ軍事行動ヲ惹起シ侵略的行動ヲ指導シ 満州事変、支那事変、大東亜戦争ヲ不可避タラシメテル者
一、明治十五年軍人ニ賜リタル勅諭ニ背キ軍閥政治ノ情態ヲ招来シ 国体ノ神髄ヲ破却シテ専横又ハ之ニ準ズル政治行動ヲ以テ 天皇ノ平和精神ニ逆ライ大東亜戦争ヲ 必至ナラシメタル者」
「無期又ハ十年以下ノ謹慎」では、軍閥への協力者である政治家や言論人などが裁かれることになっている。
しかしこの条文づくりを命じられた法務局官僚は、「戦犯裁判はアメリカ側が行うものであり、日本側としては法的根拠を見つけるのは難しく、立法府の法案になりにくい」と考えていた。それでは勅命にといっても、11月になるとそのような権限は与えられていないことが明確になった。こうしてこの法案は消えて行った。(強調は引用者)
この法案は公式の文書として残されておらず記録もされていないという。戦後40年経って、天皇の側近であった牧野伸顕の遺品から発見されたのである。
しかしその内容の核心は、現代のわれわれに“正しい歴史認識”として引き継がれるべきことをついていると言える。自主裁判が不可能であったとしても、例えば時の首相によってこの法案の核心(上記引用の強調部分)を「声明」として発するか、国会演説がなされていれば、それは「敗戦にけじめをつけた声明/演説」として後世の日本人に影響を与え、安倍首相のような誤った歴史認識(戦犯の美化、侵略の否定)でいたずらに隣国との摩擦を煽る者に抑制的効果をもたらしたのではないだろうか。ドイツのワイツゼッカー大統領が戦後40年の国会で、「過去の責任を直視する反省」について演説し、隣国との和解を成し遂げたように。
第2条には、「左ニ該当スル者ハ之ヲ反逆罪トシテ死刑又ハ無期謹慎ニ処ス」とあった。
「左ニ該当スル者」とは、
「一、天皇ノ命令ナクシテ兵ヲ動カシ 妄(みだり)ニ軍事行動ヲ惹起シ侵略的行動ヲ指導シ 満州事変、支那事変、大東亜戦争ヲ不可避タラシメテル者
一、明治十五年軍人ニ賜リタル勅諭ニ背キ軍閥政治ノ情態ヲ招来シ 国体ノ神髄ヲ破却シテ専横又ハ之ニ準ズル政治行動ヲ以テ 天皇ノ平和精神ニ逆ライ大東亜戦争ヲ 必至ナラシメタル者」
「無期又ハ十年以下ノ謹慎」では、軍閥への協力者である政治家や言論人などが裁かれることになっている。
しかしこの条文づくりを命じられた法務局官僚は、「戦犯裁判はアメリカ側が行うものであり、日本側としては法的根拠を見つけるのは難しく、立法府の法案になりにくい」と考えていた。それでは勅命にといっても、11月になるとそのような権限は与えられていないことが明確になった。こうしてこの法案は消えて行った。(強調は引用者)
この法案は公式の文書として残されておらず記録もされていないという。戦後40年経って、天皇の側近であった牧野伸顕の遺品から発見されたのである。
しかしその内容の核心は、現代のわれわれに“正しい歴史認識”として引き継がれるべきことをついていると言える。自主裁判が不可能であったとしても、例えば時の首相によってこの法案の核心(上記引用の強調部分)を「声明」として発するか、国会演説がなされていれば、それは「敗戦にけじめをつけた声明/演説」として後世の日本人に影響を与え、安倍首相のような誤った歴史認識(戦犯の美化、侵略の否定)でいたずらに隣国との摩擦を煽る者に抑制的効果をもたらしたのではないだろうか。ドイツのワイツゼッカー大統領が戦後40年の国会で、「過去の責任を直視する反省」について演説し、隣国との和解を成し遂げたように。
追記:戦後50年の1995年、自民党、社会党、さきがけの3党連立政権時代に国会決議と村山首相談話が発表されたが、安倍晋三議員など保守派は内容に反対している。共産党も過去の反省が不十分として反対した。国会議員全員一致の決議とならならず、決議や社会党所属の首相による談話が重みのないものになってしまったことは否めない。
~ ~ ~ ~ ~ ~
by rakuseijin653
| 2017-10-05 08:00
| 歴史
|
Comments(1)
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by
rakuseijin653 at 2017-10-13 15:49
仲正 昌樹金沢大学教授「日韓基本条約を結んだ佐藤栄作首相や日中国交正常化を実現した田中角栄首相が、気配りの行き届いた名演説をしていたら、過去の清算をめぐる国内外の状況は、その後大きく変わっていたかも、と思います」(朝日新聞・耕論2017年9月17日)
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