2012年 08月 09日
日本も原爆を造ろうとしていた |
1945年8月9日、長崎に原爆が落とされた時佐世保に住んでいた。潮見国民小学校の三年生であった。子どもの耳にも“新型爆弾”が落とされたというニュースが伝わってきた。それから数日後、佐世保で乗車した西へ向かう列車の中で、顔と上半身に火傷を負った男性が母親らしき女性の膝に半身を横たえているのを見た。母親が傷ついた息子を長崎まで迎えに行き、実家に連れて帰るところであったのだろう。その時は原爆による被害の実態は分かっておらず、その男性の様子を原爆と直結して認識したわけではなかったと思う。しかし後年思い返すと、あれは間違いなく原爆によるケロイド症状であったのだ。傷にまとわりつく蠅を手で払う母親の姿が今も目に浮かぶ(現代人は想像しにくいだろうが当時、列車の中に蠅が飛来するのは珍しい光景ではない)。
原爆は残酷な兵器である。それを使ったアメリカを非難し謝罪を求めるのは個人の自然な感情である。しかし国家、国民として考えれば、日本が単純にアメリカを非難する資格はなかろう。日本も原爆を造ろうとしていたからである。理化学研究所の仁科芳雄氏が軍の命令を受けて原爆製造の可能性を探っていた。原料のウランの手当てができず、技術も未熟、資金もなかったからできなかっただけである。日本が持っていれば間違いなく使用したであろう。中国で、中国人を人体実験にして細菌爆弾を造ろうとしていたし、風船爆弾をアメリカ本土に向けて飛ばしていた日本である。
歴史の進歩を考えるなら、われわれは一方的にアメリカを非難するだけではなく、また、歴史に「もし」はないと言って思考停止になるのではなく、なぜそういう事態を招いたかに思いをいたすべきであろう。当時既に、前線の100万を超す兵士の命と島々を失い、3月10日の東京大空襲による都民10万人、6月の沖縄占領にいたる軍民20万人の犠牲を目の当たりにしてもなお、為政者と軍は「一億総玉砕」を唱え竹槍でどこまでも戦いを続けようという狂気の中にあったのである。だから海軍大臣の地位にある米内光政でさえ、原爆投下を「天佑」と言った。
7月26日の連合軍による、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を、鈴木内閣は「黙殺する」と宣言した*。理由は、国体の維持、すなわち天皇制の存続が保証されていないからだというのだ。政府がポツダム宣言を受けるかどうか右往左往している間に広島と長崎に原爆が投下され、さらに天皇が戦争終結を決断した8月15日当日未明に至るまで連日空爆は続き多くの国民の生命が失われた。
ポツダム宣言を、少なくとも数日後に受諾していれば原爆の悲劇はなかった。それに続くソ連の侵攻もない。中国残留孤児、シベリア抑留の悲劇もない。北方領土を奪われることもなかった。朝鮮半島が分割されることもなかったであろう。ジャーナリスト、政治家、学者、誰も指摘していないが、それは現在の拉致問題も発生していないことを意味する。
アメリカを非難するなら同時に、国家を崩壊の危機に陥れ国民の命を軽んじた自分の国の大元帥、為政者の責任も問うべきであろう。広島の原爆碑にある「過ちは繰り返しませぬから」の主語はだれなのか。
原爆は残酷な兵器である。それを使ったアメリカを非難し謝罪を求めるのは個人の自然な感情である。しかし国家、国民として考えれば、日本が単純にアメリカを非難する資格はなかろう。日本も原爆を造ろうとしていたからである。理化学研究所の仁科芳雄氏が軍の命令を受けて原爆製造の可能性を探っていた。原料のウランの手当てができず、技術も未熟、資金もなかったからできなかっただけである。日本が持っていれば間違いなく使用したであろう。中国で、中国人を人体実験にして細菌爆弾を造ろうとしていたし、風船爆弾をアメリカ本土に向けて飛ばしていた日本である。
歴史の進歩を考えるなら、われわれは一方的にアメリカを非難するだけではなく、また、歴史に「もし」はないと言って思考停止になるのではなく、なぜそういう事態を招いたかに思いをいたすべきであろう。当時既に、前線の100万を超す兵士の命と島々を失い、3月10日の東京大空襲による都民10万人、6月の沖縄占領にいたる軍民20万人の犠牲を目の当たりにしてもなお、為政者と軍は「一億総玉砕」を唱え竹槍でどこまでも戦いを続けようという狂気の中にあったのである。だから海軍大臣の地位にある米内光政でさえ、原爆投下を「天佑」と言った。
7月26日の連合軍による、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を、鈴木内閣は「黙殺する」と宣言した*。理由は、国体の維持、すなわち天皇制の存続が保証されていないからだというのだ。政府がポツダム宣言を受けるかどうか右往左往している間に広島と長崎に原爆が投下され、さらに天皇が戦争終結を決断した8月15日当日未明に至るまで連日空爆は続き多くの国民の生命が失われた。
ポツダム宣言を、少なくとも数日後に受諾していれば原爆の悲劇はなかった。それに続くソ連の侵攻もない。中国残留孤児、シベリア抑留の悲劇もない。北方領土を奪われることもなかった。朝鮮半島が分割されることもなかったであろう。ジャーナリスト、政治家、学者、誰も指摘していないが、それは現在の拉致問題も発生していないことを意味する。
アメリカを非難するなら同時に、国家を崩壊の危機に陥れ国民の命を軽んじた自分の国の大元帥、為政者の責任も問うべきであろう。広島の原爆碑にある「過ちは繰り返しませぬから」の主語はだれなのか。
*駐日アメリカ大使として日米開戦回避に動いていたジョセフ・グル―は戦後、「鈴木首相がポツダム最後通牒を『政府の注目に値しない』として拒絶したことは最も悲しむべきことであった」と述べている。
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by rakuseijin653
| 2012-08-09 13:56
| 原爆
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