2012年 09月 10日
趣味-----ハ調で弾くピアノ |
趣味のことを語るに別に小理屈を述べることもないが、新聞紙上のエッセイで作家か誰かが次のようなことを言っていた。
「趣味とは、その行為をすることによって人様から褒められたり仕事に役立つかなあと考えたりする気持ちが微塵もあってはならない。純粋にその行為自体が快楽になることが趣味である」
自由人になって始めたことの一つがピアノである。基礎的な素養があるわけではないので、♯だの♭がいくつもついたクラッシック音楽を弾けるようになりたいとは、はなから思ってはいない。さしあたり、「Yesterday」などポピュラーミュージックを、できれば弾き語りで弾けるようになればいいという思いであった。
「趣味とは、その行為をすることによって人様から褒められたり仕事に役立つかなあと考えたりする気持ちが微塵もあってはならない。純粋にその行為自体が快楽になることが趣味である」
自由人になって始めたことの一つがピアノである。基礎的な素養があるわけではないので、♯だの♭がいくつもついたクラッシック音楽を弾けるようになりたいとは、はなから思ってはいない。さしあたり、「Yesterday」などポピュラーミュージックを、できれば弾き語りで弾けるようになればいいという思いであった。
ちょうどタイミングよく新聞広告で見たのが、「ハ調で弾くピアノ」シリーズ。ポピュラーだけでなくニューミュージック、映画音楽、それにクラッシックまである。早速取り寄せた。楽譜とCDのセットである。この楽譜でレッスンを受けるべく近所の音楽教室へ向かった。教えてくれるのは音楽学校の女子学生。レッスンの第一曲は希望通り「Yesterday」(John Lennon and Paul McCartney)。それから順調に、「明日に架ける橋」、「We are all alone」、「恋人よ」、「アルハンブラの思いで」、「軍隊行進曲」など週に一回、月に一曲のペースで進んだ。
ところがである。「おー!シャンゼリゼ」の曲に入り、この軽快な曲を自宅で何回も練習し、自信をもってレッスンを受けたときのこと。教師の前で得意になって弾いていたら、いきなり「そこは違うでしょ!」とキツイ言葉でストップをかけられた。自分の娘より“若い女の子”の、小学生に対するようなその一言に、年甲斐もなくムッときたのだ。そして、その月を終えると教室に通うのをやめてしまった。「あア、そうか」と軽く笑ってやればいいのだろうが、年寄りはプライドだけは高いのである。
それからは専ら自宅実習。そして念願の「乙女の祈り」を曲がりなりにも弾けるようになったのは、われながら上出来だと思っている。この曲は、高校三年の体育祭で、女子生徒全員によるスポーツダンスの振り付けの元となった曲である。本番前の1か月間、毎日繰り返される特訓で、この曲はスピーカーを通して授業中のわれわれの教室まで流れてきた。その旋律は否が応でも耳にこびりついてしまっていたが、改めてラジオか何かで流麗なピアノ演奏を聞いて、いつか自分で弾けたらいいなと思い続けていたのである。
ところで、かの音楽教室は、あの“指導法”のゆえかどうかは知らないが、数年後につぶれてしまった。人に褒めてもらいたくてやるわけではないとは言っても、やはり人間は発表会などの目標がないと、練習を怠り適当に自分に妥協してしまう。レッスンはそのためでもある。その意味では閉店は残念でもある。
「ハ調で弾くピアノ名曲集」(ドレミ楽譜出版社)
「乙女の祈り」楽譜
それからは専ら自宅実習。そして念願の「乙女の祈り」を曲がりなりにも弾けるようになったのは、われながら上出来だと思っている。この曲は、高校三年の体育祭で、女子生徒全員によるスポーツダンスの振り付けの元となった曲である。本番前の1か月間、毎日繰り返される特訓で、この曲はスピーカーを通して授業中のわれわれの教室まで流れてきた。その旋律は否が応でも耳にこびりついてしまっていたが、改めてラジオか何かで流麗なピアノ演奏を聞いて、いつか自分で弾けたらいいなと思い続けていたのである。
ところで、かの音楽教室は、あの“指導法”のゆえかどうかは知らないが、数年後につぶれてしまった。人に褒めてもらいたくてやるわけではないとは言っても、やはり人間は発表会などの目標がないと、練習を怠り適当に自分に妥協してしまう。レッスンはそのためでもある。その意味では閉店は残念でもある。
「ハ調で弾くピアノ名曲集」(ドレミ楽譜出版社)
「乙女の祈り」楽譜
by rakuseijin653
| 2012-09-10 10:10
| 雑記
|
Comments(0)