2012年 11月 23日
タクシードライバー |
タクシーの運転手の仕事は客を目的地まで送りとどけることであるが、何もしゃべらずに運転する者、天気の話、景気の話、政治、社会現象など何かと話しかける者に別れる。今までタクシーを利用した回数は、社用が圧倒的に多いが1000の単位になるだろう。その中で“記憶に残る”タクシー運転手の話。
何が原因か分からないが不機嫌な運転手が時々いる。名古屋でのこと。夜、会食をして家路につきタクシーを拾った。たまたま走り出すたびに行く先々の信号が赤になる。それが3,4回続いたので、思わず「ついてないなア」と呟いた。それを聞いて運転手は「仕方ないでしょう」と不機嫌に反応した。何もこちらは運転手のせいにして言ったわけではないのに、彼は自分が責められているととったのだ。その日彼に何か不愉快な出来事があったのかどうかは分からないが客商売としては失格である。
目的地に着いて料金を払うのに「お釣りはいいですよ」と言うことはたまにあるが、運転手から「お釣りがないからいいよ」と言われたことがある。正確な料金は忘れてしまったが、都内で個人タクシーに乗って目的地に着いたとき、確か、1200円のところを2000円出したら「1000円でいいよ」と言われて申し訳ない気がしたことがあった。こういう経験は一回だけである。
夜の銀座でタクシーを拾って走り始めたとたんにやたらとしゃべり始めた運転手。まもなく自分は「奥の細道」の文章を丸暗記していると言いだした。突然自分が促されて直ぐ言葉に付いて出てくるほど「奥の細道」の文章を諳んじているわけではないが、彼が語り出した文章がでたらめではないことはわかった。それも間違いなく一字一句正確であることが。彼は、宮城県の高校を卒業したという30代後半の男であった。客を乗せるたびにこの薀蓄を披露しているのだろうか。後にも先にもこういう文人ドライバーに出会ったのは、これ一回だけである。
奥の細道・序文(J-TEXTS日本電子図書館)
月日(つきひ)は百代の過客(くわかく)にして、行きかふ年(とし)もまた旅人なり。舟の上に生涯(しやうがい)をうかべ馬の口とらへて老(おい)を迎ふる者は、日々旅(たび)にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風(かぜ)にさそはれて漂泊(へうはく)の思(おもひ)やまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘蛛(くも)の古巣(ふるす)を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞(かすみ)の空(そら)に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神(だうそじん)のまねきにあひて取る物手につかず、股引(もゝひき)の破(やぶ)れをつづり笠の緒(を)つけかへて、三里に灸(きう)すうるより、松島の月まづ心にかゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅(べつしよ)に移るに、
草(くさ)の戸(と)も住(す)みかはる代(よ)ぞ雛(ひな)の家(いへ)
表(おもて)八句を庵の柱にかけおく。弥生(やよひ)も末の七日、あけぼのの空朧々(ろう/\)として、月は有明(ありあけ)にて光をさまれるものから、不二(ふじ)の峯幽(かすか)にみえて、上野(うへの)谷中(やなか)の花の梢(こずゑ)又いつかはと心細し。睦まじきかぎりは宵よりつどひて、舟にのりて送る。千住(せんぢゆ)といふ所にて舟をあがれば、前途(ぜんと)三千里のおもひ胸にふさがりて、幻(まぼろし)の巷(ちまた)に離別(りべつ)の涙(なみだ)をそゝぐ。
行(ゆ)く春(はる)や鳥(とり)啼(な)き魚(うを)の目(め)は泪(なみだ)
何が原因か分からないが不機嫌な運転手が時々いる。名古屋でのこと。夜、会食をして家路につきタクシーを拾った。たまたま走り出すたびに行く先々の信号が赤になる。それが3,4回続いたので、思わず「ついてないなア」と呟いた。それを聞いて運転手は「仕方ないでしょう」と不機嫌に反応した。何もこちらは運転手のせいにして言ったわけではないのに、彼は自分が責められているととったのだ。その日彼に何か不愉快な出来事があったのかどうかは分からないが客商売としては失格である。
目的地に着いて料金を払うのに「お釣りはいいですよ」と言うことはたまにあるが、運転手から「お釣りがないからいいよ」と言われたことがある。正確な料金は忘れてしまったが、都内で個人タクシーに乗って目的地に着いたとき、確か、1200円のところを2000円出したら「1000円でいいよ」と言われて申し訳ない気がしたことがあった。こういう経験は一回だけである。
夜の銀座でタクシーを拾って走り始めたとたんにやたらとしゃべり始めた運転手。まもなく自分は「奥の細道」の文章を丸暗記していると言いだした。突然自分が促されて直ぐ言葉に付いて出てくるほど「奥の細道」の文章を諳んじているわけではないが、彼が語り出した文章がでたらめではないことはわかった。それも間違いなく一字一句正確であることが。彼は、宮城県の高校を卒業したという30代後半の男であった。客を乗せるたびにこの薀蓄を披露しているのだろうか。後にも先にもこういう文人ドライバーに出会ったのは、これ一回だけである。
奥の細道・序文(J-TEXTS日本電子図書館)
月日(つきひ)は百代の過客(くわかく)にして、行きかふ年(とし)もまた旅人なり。舟の上に生涯(しやうがい)をうかべ馬の口とらへて老(おい)を迎ふる者は、日々旅(たび)にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風(かぜ)にさそはれて漂泊(へうはく)の思(おもひ)やまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘蛛(くも)の古巣(ふるす)を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞(かすみ)の空(そら)に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神(だうそじん)のまねきにあひて取る物手につかず、股引(もゝひき)の破(やぶ)れをつづり笠の緒(を)つけかへて、三里に灸(きう)すうるより、松島の月まづ心にかゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅(べつしよ)に移るに、
草(くさ)の戸(と)も住(す)みかはる代(よ)ぞ雛(ひな)の家(いへ)
表(おもて)八句を庵の柱にかけおく。弥生(やよひ)も末の七日、あけぼのの空朧々(ろう/\)として、月は有明(ありあけ)にて光をさまれるものから、不二(ふじ)の峯幽(かすか)にみえて、上野(うへの)谷中(やなか)の花の梢(こずゑ)又いつかはと心細し。睦まじきかぎりは宵よりつどひて、舟にのりて送る。千住(せんぢゆ)といふ所にて舟をあがれば、前途(ぜんと)三千里のおもひ胸にふさがりて、幻(まぼろし)の巷(ちまた)に離別(りべつ)の涙(なみだ)をそゝぐ。
行(ゆ)く春(はる)や鳥(とり)啼(な)き魚(うを)の目(め)は泪(なみだ)
by rakuseijin653
| 2012-11-23 14:18
| 雑記
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