2012年 12月 20日
あゝ、民主党、、、。 |
2003年、小沢自由党と菅民主党が合併するとき、民主党のウエブサイトの「民主党へのご意見」宛てに、「合併は、小沢に軒を貸して母屋をとられることになるだろう」とメールをした。
小沢に母屋をとられはしなかったが、母屋をぐちゃぐちゃにされて、彼は出て行った。かくして出て行った小沢一党も、残った母屋も目も当てられない惨状となった。
小沢一郎は、東日本大震災と原発事故で国家が危機にあって、政党を超えて協力しなければならないときに、あろうことか自民党とも通じこの「危機」を党内の権力闘争に利用した。政治学者の五百旗頭真氏も御厨貴氏も、「いかに菅首相(当時)に問題があろうと、あの時は自民党は協力して危機にあたるべきであった」と言っているが、自民党どころか小沢は内輪で足を引っ張ったのである。初めて政権についた政党が運営に未熟さがあるのは仕方がない。しかしそれに輪をかけたのが小沢の反党行為である。政党の体をなさない目に余る姿に、前回民主党を支持した国民が離れて行った。
彼は党内の権力の座(幹事長)から降りるや、旧自民党時代と同じ感覚で党内の権力闘争に明け暮れた。選挙時に掲げたマニフェストの多くは、財源不足により実行不可能であることが明らかであるにもかかわらず、それを盾に党内を混乱させた。彼ら(小沢一派)には政権与党としての自覚がなかったのである。これでは国民の信頼を失うのは当然であり今回の選挙はその帰結であった。
反民主の票は未来の党にではなく、日本維新の会やみんなの党へ流れ、自民党を利した。国民が望んでいるのは反消費増税、反原発、反TPPであると言って民主党を出て行った彼の政策は、国民に受け入れられなかったのである。小選挙区での当選は小沢一人だけで子分は全滅というこの現実に、彼は何を思っているのだろう。
民主党は小沢自由党と合併しなければ政権につくことはなかったかもしれないが、小沢と合併したことが政権を失う大きな原因にもなった。だとすれば、この選挙の結果もなるべくしてなったということになる。
小沢に母屋をとられはしなかったが、母屋をぐちゃぐちゃにされて、彼は出て行った。かくして出て行った小沢一党も、残った母屋も目も当てられない惨状となった。
小沢一郎は、東日本大震災と原発事故で国家が危機にあって、政党を超えて協力しなければならないときに、あろうことか自民党とも通じこの「危機」を党内の権力闘争に利用した。政治学者の五百旗頭真氏も御厨貴氏も、「いかに菅首相(当時)に問題があろうと、あの時は自民党は協力して危機にあたるべきであった」と言っているが、自民党どころか小沢は内輪で足を引っ張ったのである。初めて政権についた政党が運営に未熟さがあるのは仕方がない。しかしそれに輪をかけたのが小沢の反党行為である。政党の体をなさない目に余る姿に、前回民主党を支持した国民が離れて行った。
彼は党内の権力の座(幹事長)から降りるや、旧自民党時代と同じ感覚で党内の権力闘争に明け暮れた。選挙時に掲げたマニフェストの多くは、財源不足により実行不可能であることが明らかであるにもかかわらず、それを盾に党内を混乱させた。彼ら(小沢一派)には政権与党としての自覚がなかったのである。これでは国民の信頼を失うのは当然であり今回の選挙はその帰結であった。
反民主の票は未来の党にではなく、日本維新の会やみんなの党へ流れ、自民党を利した。国民が望んでいるのは反消費増税、反原発、反TPPであると言って民主党を出て行った彼の政策は、国民に受け入れられなかったのである。小選挙区での当選は小沢一人だけで子分は全滅というこの現実に、彼は何を思っているのだろう。
民主党は小沢自由党と合併しなければ政権につくことはなかったかもしれないが、小沢と合併したことが政権を失う大きな原因にもなった。だとすれば、この選挙の結果もなるべくしてなったということになる。
by rakuseijin653
| 2012-12-20 09:00
| 政治
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