2016年 02月 06日
新学年が4月からになった理由 |
入学試験シーズンたけなわである。なぜ寒いこの季節に入学試験が行われるのか。もちろん新学年が4月から始まるからであるがその理由を知って驚いた。それには、明治政府の軍備増強による財政難がきっかけであったのだ。
2月1日の朝日新聞、連載中の漱石の「門」を掲載した一角に、「新学年は9月から」というコラムがあった。そこに、明治の当時9月だった新学年が4月になった「遠因」が書かれている。
引用
「宗助が通っていた帝国大学では夏休み後の9月から新学年が始まっていた。欧米の学校慣行に従っていたからだという。学校で「4月始期」が広がった遠因は、軍備増強で政府が財政難に陥ったことにある。1886(明治19)年、政府は酒税の4月納期分を取り込もうと会計年度の始期を7月から4月に変更。徴兵検査の届け出期日も9月1日から4月1日になった。『9月入学』では優秀な学生を軍に奪われると危惧した文部省は、翌年から高等師範学校で『4月始期』を実施した。帝国大学は1921(大正10)年からになる」
今まで、新学年が4月に始まるのは、会計年度との関係というよりも、華やかな桜の季節に入学式を迎える、という極めて日本的な“情緒文化”によるものだろうと、何となく思っていた。それが明治の時代に、「徴兵検査で優秀な学生を軍に奪われることを危惧した」からだったとは。現代にすれば「お笑い」でしかない。ならば、さっさと9月にすればいいではないか。だいたい、北陸、東北、北海道で雪深いこの季節に入学試験をすることはない。雪のために交通手段が乱れ、受験生が試験会場へ遅れて到着する光景を、しばしばテレビで目にする。画面からは、彼らの動揺や焦燥感が伝わってくる。雪国の受験生にとっては、関東以南の受験生と比べて大きなハンデであって不公平である。
アメリカではヨーロッパなどと同じく、新学年は9月に始まる。財務省の会計年度は10月―9月であり、学校の始期はこれとリンクしていない。大学の入学試験は全米の統一試験、 SAT(Scholastic Assesment Test)による評価と面接によって合否が決まる。統一試験は、日本のようにセンター試験場で行われるのではなく、在学中の学校で行われる。しかも複数回受けたうち良い方の点数を申告できる。面接の方式は大学によっても違うだろうが、次男の場合は大学が指名した最寄りの大学OBの自宅を訪ね、面接を受けた。面接と言っても、日本語の語感からイメージする堅苦しいものではなかったらしい。日本のように、学生に受験地獄を強いることはしないのである。その代り、入学後は授業についていくのも楽ではないし、言われているような日本のトコロテン式卒業などとんでもない話である。
2013年、東京大学が国際化に対応するためとして9月入学への移行を発表したが、追従する大学が少なく混乱を危惧する関係者の声で、実施は先送りされた。その声の一つに、3月に卒業して9月入学まで学生はどのように過ごせばいいのか、というまことに不可解な議論があった。9月入学なら、同時に卒業時期を欧米のように6月に移行することと一体にすべきであろう。受験期も厳寒期ではなく、9月入学に合わせればいいのである。もちろんそれは、東大や他の少数の大学だけで実施すればいい話ではない。中学、高校を含めた全国の学校行政の大きな変革になる。
2月1日の朝日新聞、連載中の漱石の「門」を掲載した一角に、「新学年は9月から」というコラムがあった。そこに、明治の当時9月だった新学年が4月になった「遠因」が書かれている。
引用
「宗助が通っていた帝国大学では夏休み後の9月から新学年が始まっていた。欧米の学校慣行に従っていたからだという。学校で「4月始期」が広がった遠因は、軍備増強で政府が財政難に陥ったことにある。1886(明治19)年、政府は酒税の4月納期分を取り込もうと会計年度の始期を7月から4月に変更。徴兵検査の届け出期日も9月1日から4月1日になった。『9月入学』では優秀な学生を軍に奪われると危惧した文部省は、翌年から高等師範学校で『4月始期』を実施した。帝国大学は1921(大正10)年からになる」
今まで、新学年が4月に始まるのは、会計年度との関係というよりも、華やかな桜の季節に入学式を迎える、という極めて日本的な“情緒文化”によるものだろうと、何となく思っていた。それが明治の時代に、「徴兵検査で優秀な学生を軍に奪われることを危惧した」からだったとは。現代にすれば「お笑い」でしかない。ならば、さっさと9月にすればいいではないか。だいたい、北陸、東北、北海道で雪深いこの季節に入学試験をすることはない。雪のために交通手段が乱れ、受験生が試験会場へ遅れて到着する光景を、しばしばテレビで目にする。画面からは、彼らの動揺や焦燥感が伝わってくる。雪国の受験生にとっては、関東以南の受験生と比べて大きなハンデであって不公平である。
アメリカではヨーロッパなどと同じく、新学年は9月に始まる。財務省の会計年度は10月―9月であり、学校の始期はこれとリンクしていない。大学の入学試験は全米の統一試験、 SAT(Scholastic Assesment Test)による評価と面接によって合否が決まる。統一試験は、日本のようにセンター試験場で行われるのではなく、在学中の学校で行われる。しかも複数回受けたうち良い方の点数を申告できる。面接の方式は大学によっても違うだろうが、次男の場合は大学が指名した最寄りの大学OBの自宅を訪ね、面接を受けた。面接と言っても、日本語の語感からイメージする堅苦しいものではなかったらしい。日本のように、学生に受験地獄を強いることはしないのである。その代り、入学後は授業についていくのも楽ではないし、言われているような日本のトコロテン式卒業などとんでもない話である。
2013年、東京大学が国際化に対応するためとして9月入学への移行を発表したが、追従する大学が少なく混乱を危惧する関係者の声で、実施は先送りされた。その声の一つに、3月に卒業して9月入学まで学生はどのように過ごせばいいのか、というまことに不可解な議論があった。9月入学なら、同時に卒業時期を欧米のように6月に移行することと一体にすべきであろう。受験期も厳寒期ではなく、9月入学に合わせればいいのである。もちろんそれは、東大や他の少数の大学だけで実施すればいい話ではない。中学、高校を含めた全国の学校行政の大きな変革になる。
by rakuseijin653
| 2016-02-06 08:00
| 人生
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