2016年 08月 24日
天皇の「人権宣言」 |
8月8日、天皇が「生前退位」について自らの考えを公にした。それをある歴史家は昭和天皇の人間宣言になぞらえて、天皇の人権宣言と表現した。“悲痛な叫び”ともとれる天皇の直の声を聞いて、初めて「天皇の人権」について語り始めたのだ。
世の中に名を成した良識も教養もある知識人、文化人、学者、ジャーナリストたちが、天皇の人権について”他人事”と関心を示さずこれまで何も語らずにいて、何を今更である。 人類にとって「絶対価値」である基本的人権を自分たちは享受しながら、天皇(皇族)に限ってはこれを認めないとかむずかしいとか勝手なことを言っている。まことに以ておもしろい社会である。
明治憲法による天皇は、国民にとっての存在というより政治権力者の統治手段のための存在であった。伊藤博文は皇室典範制定にあたって、「天皇が終身大位にあるのはもちろんであり、随意にその位をのがれることはもってのほかである」と言っている。
「もってのほか」というこの一言が、天皇の人権を無視し、政治権力者の恣意によって天皇の地位が制約されるものであるということを象徴している。その伊藤の本音を表す言葉が残っている。伊藤は皇太子時代の大正天皇を評して、「操り人形」と言ったというのである。皇太子の侍医であったドイツ人医師、エルウィン・フォン・ベルツの日記にこうある。
『一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。
こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実操り人形にしているこの礼式をゆるめればよいのだ。伊藤自身は、これを実行しようと思えばできる唯一の人物ではあるが、現代および次代の天皇に、およそありとあらゆる尊敬を払いながら、なんらの自主性をも与えようとはしない日本の旧思想を、敢然と打破する勇気はおそらく伊藤にもないらしい。
この点をある時、一日本人が次のように表明した。「この国は、無形で非人格的の統治に慣れていて、これを改めることは危険でしょう」と。』
http://kousyou.cc/archives/6461
実は戦後皇室典範を見直すにあたってGHQは、「皇位継承を崩御に限るのは、自然人としての天皇の自由を拘束しすぎる。退位を認めるべきだ」と問題提議している。衆議院でも社会党の及川規議員が、「天皇御自身の絶対自由なる御意思に基づく御退位は、これを実行せられ得る規定を設くることが、人間天皇の真の姿を具現するゆえんであると確信する」と意見を述べている。
その後1956年参議院内閣委員会で、「終生公人としてその地位を守らなければならないのは天皇のあり方としてはひどすぎる」という議論があり、59年には社会党の受田新吉議員が、「天皇の退位の自由が一応認められていいのではないか」と質問した。これに対する内閣法制局長官林修三の答えは「天皇の象徴たる地位から考えて、自分の意思でその地位を退くのは矛盾している」であった。(この段落の引用は、日本経済新聞7月17日による)
これらの議論が国会外に広がることがなく立ち消えになったのは、言論の場で国民の関心を呼び起こす議論が生まれなかったということによるだろう。知識人、文化人、学者、ジャーナリストらの怠慢である。彼らの一部に問題意識を持つ者がいたとしても議論を避けたのは、天皇の人権に触れると天皇制(のありかた)の問題に話が移ることを恐れたからであろう。(奥平康弘東大教授の「『万世一系』の研究」岩波書店2005年、橋爪大三郎「皇族の人権尊重を」朝日新聞夕刊2005年は例外)
今、戦前回帰を図る右翼政権は、天皇を元首にしようとしている。その心根は、天皇の人権を拘束して統治の道具(操り人形)とした伊藤博文の思想と変わるところがない。
8月8日の天皇の意思表示は、それへの切なる「抵抗」ではないか。
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世の中に名を成した良識も教養もある知識人、文化人、学者、ジャーナリストたちが、天皇の人権について”他人事”と関心を示さずこれまで何も語らずにいて、何を今更である。 人類にとって「絶対価値」である基本的人権を自分たちは享受しながら、天皇(皇族)に限ってはこれを認めないとかむずかしいとか勝手なことを言っている。まことに以ておもしろい社会である。
明治憲法による天皇は、国民にとっての存在というより政治権力者の統治手段のための存在であった。伊藤博文は皇室典範制定にあたって、「天皇が終身大位にあるのはもちろんであり、随意にその位をのがれることはもってのほかである」と言っている。
「もってのほか」というこの一言が、天皇の人権を無視し、政治権力者の恣意によって天皇の地位が制約されるものであるということを象徴している。その伊藤の本音を表す言葉が残っている。伊藤は皇太子時代の大正天皇を評して、「操り人形」と言ったというのである。皇太子の侍医であったドイツ人医師、エルウィン・フォン・ベルツの日記にこうある。
『一昨日、有栖川宮邸で東宮成婚に関して、またもや会議。その席上、伊藤の大胆な放言には自分も驚かされた。半ば有栖川宮の方を向いて、伊藤のいわく「皇太子に生れるのは、全く不運なことだ。生れるが早いか、到るところで礼式(エチケット)の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と。そういいながら伊藤は、操り人形を糸で躍らせるような身振りをして見せたのである。
こんな事情をなんとかしようと思えば、至極簡単なはずだが。皇太子を事実操り人形にしているこの礼式をゆるめればよいのだ。伊藤自身は、これを実行しようと思えばできる唯一の人物ではあるが、現代および次代の天皇に、およそありとあらゆる尊敬を払いながら、なんらの自主性をも与えようとはしない日本の旧思想を、敢然と打破する勇気はおそらく伊藤にもないらしい。
この点をある時、一日本人が次のように表明した。「この国は、無形で非人格的の統治に慣れていて、これを改めることは危険でしょう」と。』
http://kousyou.cc/archives/6461
実は戦後皇室典範を見直すにあたってGHQは、「皇位継承を崩御に限るのは、自然人としての天皇の自由を拘束しすぎる。退位を認めるべきだ」と問題提議している。衆議院でも社会党の及川規議員が、「天皇御自身の絶対自由なる御意思に基づく御退位は、これを実行せられ得る規定を設くることが、人間天皇の真の姿を具現するゆえんであると確信する」と意見を述べている。
その後1956年参議院内閣委員会で、「終生公人としてその地位を守らなければならないのは天皇のあり方としてはひどすぎる」という議論があり、59年には社会党の受田新吉議員が、「天皇の退位の自由が一応認められていいのではないか」と質問した。これに対する内閣法制局長官林修三の答えは「天皇の象徴たる地位から考えて、自分の意思でその地位を退くのは矛盾している」であった。(この段落の引用は、日本経済新聞7月17日による)
これらの議論が国会外に広がることがなく立ち消えになったのは、言論の場で国民の関心を呼び起こす議論が生まれなかったということによるだろう。知識人、文化人、学者、ジャーナリストらの怠慢である。彼らの一部に問題意識を持つ者がいたとしても議論を避けたのは、天皇の人権に触れると天皇制(のありかた)の問題に話が移ることを恐れたからであろう。(奥平康弘東大教授の「『万世一系』の研究」岩波書店2005年、橋爪大三郎「皇族の人権尊重を」朝日新聞夕刊2005年は例外)
今、戦前回帰を図る右翼政権は、天皇を元首にしようとしている。その心根は、天皇の人権を拘束して統治の道具(操り人形)とした伊藤博文の思想と変わるところがない。
8月8日の天皇の意思表示は、それへの切なる「抵抗」ではないか。
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by rakuseijin653
| 2016-08-24 08:00
| 天皇
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Comments(1)
長谷部恭男(憲法学者)「天皇に人権がないというのは、何の権利もないという話ではなくて、人一般の平等な基本権はないという話です。『身分制の飛び地』の中で生きている人たちだから、旧来の身分制社会特有の特権と義務はある。憲法自体が天皇制という制度を認め、あの人たちは身分制社会の中で生きる特別な人々だと、そういう地位を割り当てています」世界10月号