2016年 10月 16日
地下鉄今昔 |
知られているように戦前の地下鉄は、浅草線(浅草―渋谷)しかなく、丸ノ内線は現在に見る戦後地下鉄網のはしりであった。この時は終点、新宿(その後荻窪)はおろか、淡路町から先の大手町、東京、銀座にさえ通じていなかった。昭和29(1954)年に営団地下鉄(現東京メトロ)の2番目の路線として池袋ー御茶ノ水間を開業した丸ノ内線を起点に、東京の地下鉄は年々その路線を伸ばしていったのである。
以後、「東京地下鉄の歴史」をたどると、戦後の高度経済成長、バブルを経てその崩壊のなかでも営々と路線を拡大してきた過程がわかる。
61年 日比谷線(南千住ー仲御徒町)
64年 東西線(高田馬場ー九段下)
68年 都営三田線(巣鴨ー志村<現高島平>)
69年 千代田線(北千住―大手町)
74年 有楽町線(池袋ー銀座1丁目)
78年 半蔵門線(渋谷ー青山1丁目)
都営新宿線(岩本町ー東大島)
91年 南北線(駒込ー赤羽岩淵)
都営大江戸線(光が丘―練馬)
94年 副都心線(小竹向原ー池袋)
上記は、一部路線の開業年であり、それぞれの路線の延長工事は年を経て続いた。
京浜国道や日比谷通りなどあちこちで地下深く掘り返され、舗装道路の代わりに敷き詰められた鉄板道路の上を車が走り人が歩くという風景が常態化していた。そうして、1927年、上野ー浅草間(2.2km)で始まった東京の地下鉄網は、2004年にようやく現在の東京メトロ8路線、都営地下鉄4路線の地下鉄網が完成している。2014年の東京メトロ、都営地下鉄合わせた総延長距離は300km、1日の利用客は930万人である。近郊電鉄との直通運転も進み、成田空港や羽田空港へのアクセスも容易になった。昨年3月には、埼玉県川越から横浜中華街まで東武東上線、東京メトロ副都心線、東横線、横浜高速みなとみらい線を経由して一本につながった。
最新の路線図を観ると、長年首都圏に住んできた人間にも目が回るようで、もう、どの路線がどこからどこを経由してどこまでつながっているのか、さっぱりわからない。頭に入っていたのは、通勤にも利用した日比谷線(中目黒ー北千住)や東西線(西船橋ー中野)までである。もちろん、ふだん利用することがなければすべてを知る必要はないし、たまの利用でも今はインターネットが最適路線を、その上所要時間、運賃まで教えてくれる。アナログ人間にはなじまないところもあるが、便利な世の中になったものだ。
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by rakuseijin653
| 2016-10-16 08:00
| 雑記
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