2017年 03月 26日
原 武史の退位論 |
近現代の天皇制研究者原武史放送大学教授が、特例法制定への過程に異論を唱えている。天皇の地位は、「国民の総意」に基づくとした憲法に反して、天皇による退位表明を発端として国会(国民)が動いたことに対してである。だれも指摘していない論点ではないか。
以前(2012年12月)、「われわれは、高齢で病を抱えた天皇が引退することも認めずこき使っているのである。尊崇の念をもつと言いながら国民は天皇に犠牲を強いているのだ」と、国民の声が上がらないことの不思議さを書き綴った。すなわち、天皇の進退について「国民の総意」が無関心であることについてである。原教授も、そのことを言っているのだ。彼はそういう国民性は、昭和天皇の「玉音放送」によって敗戦を受け入れたときと変わらないと言う。以下朝日新聞3月17日から。
「玉音放送が流れるまでは、たとえこの戦争に負けると思っていても、公然と言える空気ではなかった。ところがいったんあの放送が流れるや、圧倒的多数の臣民がそれを受け入れた。だからこそ、速やかに戦争を終えることができた。その流れが今回の退位をめぐる動きと似ている」
「昨年7月にNHKの第一報が流れるまでは、もし国民の誰かが『陛下ももうお年なのだから、そろそろ皇位を皇太子にお譲りになって引退されたら』などと言おうものなら、それこそ『身の程をわきまえない無礼者』とのそしりを受けた可能性は大いにあったであろう。たとえそう思ったとしても、公然とそれを言い出せる空気があったかどうか」
「ところがいったん天皇からその意思が示されるや、圧倒的多数の国民が受け入れた。これが天皇と国民の関係である。この点で45年8月と現在は変わっていない」
上の指摘に本質的な異論はないが、敗戦までの国民が「戦争に負けると思っても、公然と言えなかった」のは、天皇の「開戦勅書」という絶対命令には誰も逆らえなかったからである。開戦に反対していた石橋湛山や清沢冽なども、勅書により戦争が始まってからは口を封じざるをえなかった。その意味で戦時中と現在の空気を同一にはできない。しからば戦後民主制の下で、国民の意識は変わったのであろうか。今まで再三触れたことだが、多くの国民は、天皇を祭り上げただただ畏れ多く、「ものごとを申し上げられない」という明治時代からの洗脳から覚めていない。「天皇と国民の関係」は変わっていないのだ。
原教授は、今回「国政に機能を有しない」はずの天皇が、政治に影響を及ぼしたことで憲法違反であるとする。ただし、「だから天皇の退位は認められない」という保守派の主張とは異なる。憲法に「国民の総意に基づく」とあるのであるから、国民の側で問題意識をもって天皇退位を発意すべきであったというものである。
しかしそれは、上述のごとく“ないものねだり”だろう。
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以前(2012年12月)、「われわれは、高齢で病を抱えた天皇が引退することも認めずこき使っているのである。尊崇の念をもつと言いながら国民は天皇に犠牲を強いているのだ」と、国民の声が上がらないことの不思議さを書き綴った。すなわち、天皇の進退について「国民の総意」が無関心であることについてである。原教授も、そのことを言っているのだ。彼はそういう国民性は、昭和天皇の「玉音放送」によって敗戦を受け入れたときと変わらないと言う。以下朝日新聞3月17日から。
「玉音放送が流れるまでは、たとえこの戦争に負けると思っていても、公然と言える空気ではなかった。ところがいったんあの放送が流れるや、圧倒的多数の臣民がそれを受け入れた。だからこそ、速やかに戦争を終えることができた。その流れが今回の退位をめぐる動きと似ている」
「昨年7月にNHKの第一報が流れるまでは、もし国民の誰かが『陛下ももうお年なのだから、そろそろ皇位を皇太子にお譲りになって引退されたら』などと言おうものなら、それこそ『身の程をわきまえない無礼者』とのそしりを受けた可能性は大いにあったであろう。たとえそう思ったとしても、公然とそれを言い出せる空気があったかどうか」
「ところがいったん天皇からその意思が示されるや、圧倒的多数の国民が受け入れた。これが天皇と国民の関係である。この点で45年8月と現在は変わっていない」
上の指摘に本質的な異論はないが、敗戦までの国民が「戦争に負けると思っても、公然と言えなかった」のは、天皇の「開戦勅書」という絶対命令には誰も逆らえなかったからである。開戦に反対していた石橋湛山や清沢冽なども、勅書により戦争が始まってからは口を封じざるをえなかった。その意味で戦時中と現在の空気を同一にはできない。しからば戦後民主制の下で、国民の意識は変わったのであろうか。今まで再三触れたことだが、多くの国民は、天皇を祭り上げただただ畏れ多く、「ものごとを申し上げられない」という明治時代からの洗脳から覚めていない。「天皇と国民の関係」は変わっていないのだ。
原教授は、今回「国政に機能を有しない」はずの天皇が、政治に影響を及ぼしたことで憲法違反であるとする。ただし、「だから天皇の退位は認められない」という保守派の主張とは異なる。憲法に「国民の総意に基づく」とあるのであるから、国民の側で問題意識をもって天皇退位を発意すべきであったというものである。
しかしそれは、上述のごとく“ないものねだり”だろう。
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by rakuseijin653
| 2017-03-26 08:00
| 天皇
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