2018年 01月 07日
理想と現実のバランス |
核廃絶を短絡的に理想論と一蹴するつもりはないが、国連で採択された「核兵器禁止条約」に実効を求めるのは現実論として難しい、と前稿で書いた。結局は、国際政治の中で理想と現実のバランスをどこに求めていくか、ということが現実的な課題になる。そしてそれは「永遠の論争である」。
歴史学者E.H.カー(1892~1982)はその著「危機の20年」のなかで、
「ユートピアとリアリティの対立は、多くの思考形態に現れる基本的な対立である。両者の対立は、あたかも天秤のように均衡を得ようとしてつねに揺れており、決して完全にはこの均衡に達することはないのである」と述べ、
アルベール・ソレル(1842~1906フランスの歴史家)の言葉、
「(両者の対立は)世界を自分たちの政策に適応させるのだと考える人々と、自分たちの政策を世界の現実に合わせるよう立案する人々との間にある永遠の論争である」を引用している。
以下、カーの論旨の主要部分。
「どんな政治的ユートピアもそれが政治的リアリティから生ずるものでない限り、最低限の成功さえおぼつかないものだということを、国際政治の研究者が理解するにはある程度時間がかかる」
「未成熟な思考は、すぐれて目的的でありユートピア的である。とはいえ、目的を全く拒む思考は老人の思考である。成熟した思考は、目的と観察・分析を合わせもつ。健全な政治思考および健全な政治生活は、ユートピアとリアリティがともに存するところにのみその姿をあらわすであろう」
「ユートピアンは必然的に主意主義者(知性より意志を上位に置き、これを行動の根本原理とする人々)である。ユートピアンは多かれ少なかれ根本的に現実を否定する可能性を信じているし、また彼は意志の働きによってリアリティをユートピアに変えることができると信じている。リアリストは自分では変えられない予め決まっている発展過程を分析する。ユートピアンは、未来を見据えながら創造的かつ内発的な意志によってものを考える。一方リアリストは、過去に根をおろしつつ因果関係によってものを考える。
あらゆる健全な人間行動、したがってあらゆる健全な思考は、ユートピアとリアリティとの間に、そして自由意志と決定論との間にバランスをとらなければならない。
完全無欠のリアリストは物事の因果関係を無条件に受け入れるので、現実を変えていく可能性を否定してしまう。完全無欠なユートピアンは因果関係を拒むので、彼が変えようとしている現実、あるいは現実が変えられていくプロセスを理解することができないのである。ユートピアンの典型的な欠陥は無垢であることであり、リアリストのそれは不毛なことである」
「リアリストは、政治理論の先験的性格をすべて否定し、なおかつ政治理論の現実のなかに根ざしていることを証明しようとして、簡単に決定論に陥ってしまう。理論は予め用意され決められた目的を合理化する手段にすぎないし、全く無用の長物であり、事の成り行きを変えることなどできないのである。したがってユートピアンが目的を唯一究極の事実として扱うのに対して、リアリストはあえて、目的とは単に他の諸事実から機械的に生み落されるものだと考える。
政治過程は、リアリストが信じているように、機械的な因果法則に支配された一連の現象のなかにだけあるのではない。しかしだからといって、ユートピアンが信じているように、政治過程は確かな理論的真理を現実それ自体に適用することのなかにのみあるのでもない。政治学は、理論と現実の相互依存を認識し、その認識の上に築かなければならない」
E.Hカーの著作「危機の20年」は1939年、第二次世界大戦勃発を予告するかのごとく発表された(開戦は同年9月だが企画されたのは1937年で校正刷りは開戦前に完了していた)。
時代は、第一次世界大戦がそれまでの戦争と次元を異にする惨事をもたらした反省からユートピアの具現体とし生まれた国際連盟が、肝心の設立提案国のアメリカが加盟せず、日本の満州進出などにより機能不全に向かおうとしていた。カーは「ユートピアからリアリティへ急降下する」時代を「危機」と捉えたのである。20年とは、第一次大戦(1914~1918)からの20年を指す。
残念ながら今日の核兵器廃絶の論争も、ソレルが19世紀に見通しカーが80年前に論述した通り、「理想」と「現実」の思考形態の対立としてそのバランスを求め続けていく、ということになるのであろう。
*翻訳者原彬久氏は本書の解説で、本来リアリリズムの対語としてはユートピアニズム(空想主義)ではなくアイデアリズム(理想主義)が妥当ではないかと疑問を呈したうえで、「カーにとって『ユートピアニズム』は、『アイデアリズム』をも包摂する広義の理想主義であると理解してよいだろう」と述べている。
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by rakuseijin653
| 2018-01-07 11:00
| 政治
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Comments(2)
Commented
at 2018-01-07 21:28
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
rakuseijin653 at 2018-01-08 16:10
かくびんた様
コメント、ありがとうございます。
私は、ものごとを学ぶとき、「何を言っているか」よりまず「誰が言っているか」が大事だと思っています。
SNSで戦後世代が言っていることをみると、聞きかじりや生半可な偏った知識で断定的に決めつけるものが多いと感じています。戦争を肌感覚で理解できないのはやむを得ないことですが、NHKスペシャルの生存者の証言を含む記録画像は、それらを補うものとして戦後世代にできるだけ観てほしいと思うのです。
コメント、ありがとうございます。
私は、ものごとを学ぶとき、「何を言っているか」よりまず「誰が言っているか」が大事だと思っています。
SNSで戦後世代が言っていることをみると、聞きかじりや生半可な偏った知識で断定的に決めつけるものが多いと感じています。戦争を肌感覚で理解できないのはやむを得ないことですが、NHKスペシャルの生存者の証言を含む記録画像は、それらを補うものとして戦後世代にできるだけ観てほしいと思うのです。
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