2018年 08月 15日
日本が戦争に勝っていたら、、 |
敗戦から73年の日に夢想してみる。もし日本が先の戦争(太平洋戦争)で勝っていたら、この国はどうなっていただろう。
天皇主権の軍国主義の日本が存続していることになる。「日本が戦争に勝つ」ということは、開戦前の軍の日米戦力比較分析でも「勝算はない」*という答えが出ていたので、結果論ではなくありえないはなしである。ならば、途中で降服していたらどうなっていただろうか、という「もし」もありえない。なぜなら、開戦の詔勅が発せられた以上、軍が天皇の命令に反して降服することは“絶対に”ありえないことであったからである。では政府はどうか。陸軍大将東条英機が首相であったから、天皇に降服を上奏して決断を仰ぐこともありえない。東条から首相の座を継いだ小磯國昭も鈴木貫太郎も軍出身(陸軍大将と海軍大将)である。
夢想とは、その二つの「もし」があり得ないことを承知での仮定の話だからである。
くり返すが日本が勝っていた場合も途中で降服した場合も、天皇主権と軍国主義が存続していることは間違いない。そう考えると、ゾッとする。日本は今われわれが享受している自由と民主主義の国にはなっていないのである。その差は、地獄と天国ほどの違いと言っても誇張ではない。
驚いたことに、昭和天皇も戦後「日本が勝っていたら」と夢想していた。
昭和21年3月、独白録作成の後に側近の木下道雄に漏らしたということばが側近日誌にある。
「負け惜しみと思うかも知れぬが、敗戦の結果とはいえ我が憲法の改正も出来た今日に於いて考えて見れば、我が国民にとっては勝利の結果極端なる軍国主義となるよりも却って幸福ではないだろうか」
「歴史は繰り返すということもあるから、以上の事共を述べておく次第で、これが新日本建設の一里塚とならば幸いである」(保阪正康著「昭和史のかたち」岩波新書より引用)
まるで「戦争に負けてよかった」と言わんばかりである。自分の命令で命を落とした310万の犠牲者を前に「負けてよかった」はないだろう。これでは犠牲者は浮かばれないしその数倍の遺族の心はあまりにもむなしい。現人神天皇も、心の内では軍の横暴に苦悩していたことを純真に人間として吐露したという解釈もあるかもしれないが、神と崇められて国家国民を統治していた者としては「言ってはいけない」ことばであろう。このような国民を裏切る発言は、思っていても口にだすことではない。口にすべきは、国民への謝罪である(マッカーサーと皇祖には謝罪したが、国民とアジア諸国にはしていない)。
この統治者としての自覚のない発言は、昭和20年9月9日に皇太子へ宛てた手紙の
「敗因について一言いわしてくれ
我が国人が あまり皇国を信じ過ぎて 英米をあなどったことである
我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである
明治天皇の時には 山形 大山 山本の如き陸海軍の名将があったが 今度の時は 軍人がバッコして大局を考えず進むを知って退却を知らなかったからです
戦争を続ければ 三種の神器を守ることができず 国民をも殺さなければいけなくなったので 涙をのんで 国民の種を残すべくつとめたのである」
同21年の独白録「あの時に、日本が開戦していなければ、日本に内乱が起こり、自分が殺されていたであろう。内乱者もまた戦争を始めるであろうから、どっちみち開戦になるが、内乱者が行う戦争はもっと悲惨なものであったろう」「だから私の考えは正しかった」
同45年、歌会での「戦を とめえざりし くちおしさ
ななそじになる 今もなお思う
と一連づけてみれば、なお一層その無責任さが浮き上がってくるのである。
徳富蘇峰は戦後、「天皇が決然たる態度で軍を統帥しなかったから戦争に負けた」と言ったが*、根底はそうではなく「天皇が統治者として決然たる判断をしなかったから戦争に突入した」というべきであろう。ここで、もし戦争に突入(開戦)しなかったら、という「もし」がありうるが、その場合はもちろん天皇主権の軍国主義が続いていたという皮肉な結果になる。
われわれは「なぜ負けると分かっていた無謀な戦争を始めたのだ」、「なぜ勝敗が決定的になっているにもかかわらず戦争を止めなかったのか」と当時の国家指導者を非難するが、悲しいことにわれわれは、「勝ち目のない無謀な戦争を始めて」「勝敗が決まっていながらなおも原爆投下まで捨て鉢の戦いを続け」「無条件降伏する」ことによってしか民主主義の国になることができなかった。この世にこれ以上のアイロニーがあろうか。アメリカから民主憲法を押しつけられなければ、自ら民主主義国になる能力をもっていなかったのである。
すなわちわが国の民主制度とは、日本有史以来の最大の国民の犠牲を代償としてのみ実現したものであることを、われわれは肝に銘ずべきだ。
ポツダム宣言受諾に際しても天皇制の維持が条件であったし、マッカーサーに拒否された新憲法案*でも、明治憲法の骨格を維持しようとしていたことが証左である。
*リンク:「葬られた幻の報告書」
*「今上天皇は、戦争の上に超然として在(い)ました事が(中略)この戦争の中心点を欠いた主なる原因」、「戦争に一貫した意思がなく統帥力がなかった。明治天皇だったら満州事変のようなことは絶対に起こらなかった」(徳富蘇峰『終戦後日記』)
*1945年12月第八十九帝国議会で松本国務大臣が憲法改正基本方針を説明
「天皇が統治権を総攬するという原則には変更を加えない」
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by rakuseijin653
| 2018-08-15 08:00
| 天皇(制)
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Comments(5)
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rakuseijin653 at 2018-10-03 17:17
高橋源一郎・『教育勅語』現代語訳
教育勅語⑥「永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり『人としての正しい道』なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです」
https://togetter.com/li/1090802
教育勅語⑥「永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり『人としての正しい道』なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです」
https://togetter.com/li/1090802
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rakuseijin653 at 2018-12-18 10:25
若槻礼次郎回顧録「私は戦局の現状は痛心にたえませんということを第一に言上した・・・さてここまで申し上げれば、次に結論として、本土決戦などといっても、この不利な形勢が逆転する見込みもないのであるから、<どうしても休戦する外はありません>と申し上げなければならない。無論私の肚の中はそうであったが、しかし私は、それを口へ出していうことができなかった。それが私の至らない所で、まことにざんきに堪えない次第であるが、どうも直接陛下の御前で、目のあたり陛下の御英姿を拝して(降参なさい)という意味のことは何としても言上できなかった」(暗黒日記3・注23)
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rakuseijin653 at 2019-06-27 22:58
橋本公亘「『この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』は、草案では『この地位は、日本国民の至高の総意に基づく』となっていた。これは、国民主権というような表現をつとめて避けようとしていた当時の政府の意向を示すものである。」「君主主権主義から国民主権主義に変わったのであるから、憲法第一章に天皇の規定を設けることは、形式として、どうかと思われる。」(『日本国憲法』有斐閣)
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通りすがり
at 2019-08-06 17:58
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何事にも全ての人が関わっている。一人や一部の集団に責任を押し付け、自分たちは関係ないと逃げ道を作る事がどれだけ卑怯な事か解りますか。当時の天皇がどう思っていたかは知らないが、どう思っていたにせよ、天皇一人の問題ではなく、全ての人に多かれ少なかれ責任はある。天皇の指示に従わなければ、軍部の横暴があったかなかったかはさておき従わなければ、皆がそうしていれば、自分は関係ないからと流されるまま生きていたから戦争は結果として起こった。別に日本人だけの問題じゃない。人類全てにおける問題。天皇の問題は天皇だけの問題ではなく人類全ての問題でも在る。また名もなき一人の問題は人類全ての問題でもある。
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rakuseijin653 at 2019-08-07 07:42