2018年 11月 15日
9条は押しつけではない? |
戦争放棄と戦力の不保持を定めた憲法9条は、日本が2度と戦争を仕掛けないようにマッカーサーが押しつけたものとされているが、最近、事実はそうではないとの説が浮上している。戦争放棄の発案者は当時の首相、幣原喜重郎であったというものだ。
雑誌「世界」6月号の笠原十九司都留文化大学名誉教授によると、1950年代からその論争は続けられているとのことであるが、一般には幣原発案説は忘れられているかその存在を知らない者が多数であろう。いわゆる平和憲法擁護勢力も幣原発案説を基にして自説を主張してきたという印象はない。
幣原喜重郎は、外交官として出発しその後外務大臣をつとめたが、一貫して国際的視野で国の政策を考えた。単純に言えば、日本が国策を誤ったのは軍部が国際的視野を欠いていたからである。幣原は1921年のワシントン軍縮会議には駐米大使として参加し、また中国の独立・領土保全を約した九ヵ国条約の調印に尽力した。日中戦争の不拡大政策を主張した若槻次郎内閣の外務大臣であった幣原は、「軟弱外交」「売国奴」などと非難され職を辞している。
1940年、貴族院議員であった幣原は、大政翼賛会の設立に不賛成の意思を示し入会を拒否している。幣原の抵抗にもかかわらず拡大した戦争政策により、国は破たんした。9条の戦争放棄は、そういう経歴をもつて45年10月首相となった幣原の、”思いつめた”気持ちが込められたものであったのである。
日本国憲法案策定にあたって、幣原自身が戦争放棄をマッカーサーに申し入れたという日本側の公的資料は残っていないが、生前の51年2月、秘書役であった平野三郎に語った記録が残っている。笠原教授は、そのほかにも幣原発案説を裏付けるマッカーサー証言にも論拠を求めながら、押しつけ説を否定する立場で論じている。以下、同誌の論文から一部要約。
<*1951年2月・幣原首相の証言(秘書官平野三郎文書)
「あれ(戦争放棄)は一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というものだ。
僕はマッカーサーに進言し、命令として出しても貰うように決心したのだが、一歩誤れば首相自ら国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。それは昭和21年1月24日、僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。すべてそこで決まったわけだ」
「僕は軍縮の難しさを身を持って体験した。軍縮を可能とする方法が一つだけあるとすれば、世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。ここまで考えを進めた時に9条というものが浮かんだのである」
「非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが、武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰という結論は、考えに考えた末もう出ている」
「来たるべき戦争の終着駅は破滅的悲劇しかない。戦争放棄国の出現はほとんど空想に近いが、日本は今こそその役割を果たし得る位置にある。歴史の遇然は日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えたのである」
「9条の永久的な規定ということはマッカーサーも驚いたようだった。賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで握手した程であった」
「この考えは仮にも日本側から口にすることは出来なかった。押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてはそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった」
「このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかなければならないことだから、その積りでいてくれ給え」
*マッカーサーの証言
1946年4月5日・連合国対日理事会での挨拶
「私は、戦争放棄の日本の提案を、世界全国民の慎重なる考察のために提供するものである」
*1951年5月5日・米国議会上院軍事外交合同委員会における証言
「かれらは、かれら自身の発意で、戦争を禁止する旨の規定を憲法に書き込んだのであります。日本の総理大臣幣原氏がわたしのところへやって来て『これはわたしが長い間考え信じてきたことですが、現在起草している憲法の中にこのような規定を入れるよう努力したいのです』と申しました」
*1955年・ロスアンゼルス正餐会演説
「賢明な幣原首相がわたしのところにこられて、日本人自身を救うのは、日本人は、国際的手段としての戦争を放棄すべきであることを主張されました」
*1964年出版「マッカーサー大戦回顧録」
「日本の新憲法にある『戦争放棄』条項は、私の個人的命令で押しつけたものだという非難が、実情を知らない人々によってしばしば行われている。これは次の事実(1月24日の密談)が示すように真実ではない」
笠原十九司教授解説
<幣原は、平野に憲法9条発案の経過を語った10日ほど後の3月10日に死去した。「口外しないように」と言われた平野であるが、1954年3月に発足した自由党憲法調査会で改憲論議が活発化した政治状況にかんがみて、あえて公表したのである。
9条「押しつけ説」を奉じする立場からは、幣原発案説を否定し平野文書の信憑性に疑義を呈する以外にないかもしれないが、平野があえて虚偽を述べる蓋然性は乏しく、マッカーサー証言、その他の資料とも矛盾はないので第一級の価値を持っていることを認めてよいだろう。
幣原は平野に、自身の証言を公表するな、と命じたが、幣原内閣発足当時は陸海軍大臣がおり陸海軍省廃止後も旧軍部が隠然とした勢力を残していたので、そういう状況下で「軍備全廃」を主張することは極めて困難かつ危険であったろう。幣原が告白しているように、「押付け」すなわち「マッカーサー案」として提示しなければ実現できないと判断されるきびしい現実が日本の政治状況にあったのである。>(強調は引用者)
戦後の国際情勢は幣原が夢見た方向へは進まず自衛隊が存在している以上、9条の「戦争放棄」「戦力不保持」が現状に合わないことは歴然としている。だから憲法改正議論は当然あってしかるべきである。しかし幣原発案説に信憑性があるなら、9条に限っては「アメリカの押し付け」だとして国民感情に訴える自民党の手法は筋違いである。
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by rakuseijin653
| 2018-11-15 08:00
| 政治
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