井上達夫の「天皇制」論 |
正義が要請する自他の立場の反転は、自己と他者が置かれている状況の反転だけでなく、自己と他者の視点の反転も意味します。他者の状況にだけでなく他者の視点に反実仮想的に自己を置いてみることが要請されます。(『自由論』)
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2019年 06月 05日
法哲学者井上達夫の論考は、これまで主として9条護憲派の欺瞞を指摘するものとして注目してきたが、天皇の代替わりにあたって「天皇制」について語っている(朝日新聞2019年5月3日)。 論旨は過去の投稿「明仁天皇の“戦略”」と重なるところがあるが以下、同紙より。(記者との一問一答・口調は「です・ます」) 「特に印象に残っているのはハンセン病患者への慰霊だ。家族とも切り離された人たちのもとに足を運ぶ。こうした『忘れ去られた』人たちを社会的に包摂しようとした振る舞いの蓄積ゆえに、天皇制への高い支持を可能にし、暗さのない代替わりにつながった」 「確かに天皇個人はリベラルな人物だったと思う。都教育委員(当時)の米長邦雄氏が『日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事』と園遊会で言うと、強制にならないように、と答えた。憲法上明記された国事行為以外に踏み込む言動はリスクを伴う。政治的な行為・発言は禁じられ、生前退位の意思を明らかにした『おことば』には批判の声も上がった。それでもリスクをとったのはリベラルな考えゆえだろう」 「ただ天皇個人と天皇制は区別して考えないといけない。私は天皇制を、日本に残った最後の『奴隷制』と考えている。民主主義とは『われら人民』による自己統治だ。統治者たる『われら人民』を一体化させるシンボル(記号)として、特定の血統をもった天皇・皇族は政治権力どころか人権まで剥奪され、表現の自由や職業選択の自由もない。 皇位継承が男性に限られ、女性の皇族だけが民間人と結婚したら自動的に皇族離脱するのはひどい女性差別で、法の下の平等を定めた憲法14条違反だが、問題視する声はかってより少なくなっている。主権者国民が一体化できるための結節点として天皇・皇族が利用され『人権なき記号』と扱われることに違和感がないのだ。 「象徴天皇は民主主義とは両立する。しかし、特定の血統をもった一族から人権を剥奪し、彼らを『われら国民』のアイデンティティーを確保する道具として利用し続けるのは、『異質な他者との共生』の思想としてのリベラリズムとは相いれない」 「憲法2条は天皇の地位を世襲と明記している点ではリベラルとは言えないが、それ以外は、国会が議決する皇室典範の定めによる、としている。つまり皇室離脱や女性宮家の可否といった問題は立法に委ねられている。立法によって象徴天皇をリベラルの方向に変えていくことは可能だ。しかし、代替わりの今も問題は棚上げされている」 「天皇・皇族に対する人権侵害は被差別少数者の人権侵害と通底している。さらに、リベラルな思想からは、政治的に争う諸勢力が、自分とは意見の異なる『他者』への公正さを無視していることも問題だ」(強調は引用者) ここでの「政治的に争う諸勢力が、自分とは意見の異なる『他者』への公正さを無視している」とは国家主義勢力のことだけではなく、「自分が他者(天皇・皇族)の立場であったらどう考えるのか」(公正さ)という視点での「異なる意見」を無視して、「特定の血統をもった一族から人権を剥奪し、彼らを『われら国民』のアイデンティティーを確保する道具として利用し続ける」自称リベラリストのことをも言っているのだ。 井上の思考論理は、つねに「自分を他者に置き換えた時に、同じ論理で主張をするか」というものである。つまり、「自分の人権」を主張するなら「他者の人権」も認めなければならない、それが「公正」というものだ、という当たり前の論理である。 現在の「国民の総意」なるものは、この当たり前の論理を否定する者と、そういうかたくるしい“リクツ”はどうでもいいではないかという無自覚・無関心層とによって形成されているというのが実態であろう。 *井上達夫のツイッターから 正義が要請する自他の立場の反転は、自己と他者が置かれている状況の反転だけでなく、自己と他者の視点の反転も意味します。他者の状況にだけでなく他者の視点に反実仮想的に自己を置いてみることが要請されます。(『自由論』) ~ ~ ~ ~ ~ ~
by rakuseijin653
| 2019-06-05 08:00
| 天皇(制)
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