2023年 02月 01日
終焉が見えないウクライナ戦争 |
戦争は、いったん始まれば終わらせるのは難しい。
ウクライナ戦争が始まって24日で1年になるが、まだ終焉の様相は見えない。
アメリカのミリー統合参謀本部議長は1月20日、「今年中にウクライナからロシア軍を軍事的に追い出すことは非常に困難だ」と述べている(NHKニュース)。
昨年の秋ごろは、ロシア軍の弱点をあれこれ拾いロシアの劣勢を指摘する専門家もいたが、その後長期戦を予想するようになった。素人目にも、プーチンが“窮鼠猫を噛む”状態に追い込まれたとき何が起こるかわからない。
「いかなる理由があろうとも戦争をしてはいけない」という人類がめざす規範からすれば、プーチンの所業は許されない。しかしそこで思考停止したままでなぜ戦争が起きたのかを考えなければ、また同じことを繰り返す。
1962年、ソ連がアメリカの喉元ともいえるキューバにミサイルを配備しようとした。このときアメリカは、自国の安全保障を脅かすものとして武力行使も辞さない構えをみせた。プーチンがNATOの東方拡大を自国への脅威ととらえるのは、キュウーバ危機のときのアメリカの裏返しである。当時のソ連(フルシチョフ)はアメリカ(ケネディ)の反発で引き下がり戦争は避けられたが、NATO拡大を自国への脅威ととらえウクライナ国境に兵力を配備して侵攻の構えをみせたプーチンに対して、アメリカは一切の妥協を拒んだ。
戦争を始めたのはプーチンだが、彼をそこに追い込んだのはどこの国か。プーチンを戦争に仕向けたのは誰か。ソ連崩壊でワルシャワ条約機構が解体し、いわば丸裸になったロシアの弱みにつけこんで、国境を接するウクライナまでNATOを拡大しようとしたのはアメリカである。これをプーチンが安全保障上の脅威ととらえるのは当然であろう。
(*ワルシャワ条約機構は、1955年、NATOに対抗してソ連を中心に結成された軍事同盟)
NHKは、年末から正月にかけてプーチンがアメリカが主導する米欧連合と敵対するようになった経緯に焦点を当てた特別番組を放送した。12月25日の『プーチン 知られざるガス戦略』と年が明けて1月1日の『混迷の世紀』である。
『プーチン 知られざるガス戦略』では、当初西側と協調的であったプーチンの意識がアメリカへの不信感を募らせて、対抗、敵対に変わっていったかを改めて知らしめる。2007年のミュンヘン安全保障会議及び8年のブカレストNATO首脳会議にプーチンを招いていながら、冷戦の勝利に奢るアメリカ(子ブッシュ)は、あえてプーチンの神経を逆なでするような態度をとっている。以下、同番組より。
2004年、プーチンは年次教書で次のように演説した。1993年のクリントン政権以降の、ソ連崩壊につけこんだNATO拡大を意識したものである。
「ソ連の崩壊は今世紀の地政学的な大惨事であった。ロシア国民にとっては、衝撃的な出来事であった。(ソ連崩壊により)何千万のロシア人がロシアから切り離された。」
2007年2月ミュンヘン安全保障会議でプーチンは、米欧首脳を前に次のように演説した。
「アメリカは、政治、経済あらゆる面で自国の価値観を他の国に押し付けている。そんなことを望む国があるのか?こうした行為は他国を不安に陥れるということを強調したい。」
これについて同席していたドイツ外務副大臣V・イシンガーは、「聴衆は驚きながらも真剣に受け止めていなかったようだった。」と語り、アメリカ国務次官補代理ヘサン・コンリーは、プーチンは「西側に協力する試みは終わった、ロシアはこれから自国の利益を追求する、と公の場で宣言した」と述べている。
2008年4月ルーマニア・ブカレストNATO首脳会議で(子)ブッシュ大統領はプーチンの目の前で、「ジョージアとウクライナのNATO加盟の希望を歓迎する」と、(わざわざプーチンを刺激するようなことを)演説した。
これに対してプーチンは「国境に強烈な軍事ブロックが出現すれば、安全保障に対する直接的な脅威とみなす。それはロシアに対するものではない、と言ったところで納得できない。国家の安全保障は、約束の上で築かれるものではない。*」と語気を強めて反発した。(*引用者注:「約束の上で築かれるものではない」とは、1990年にベーカー国務長官がゴルバチョフに「NATOを東方に1インチも拡大しない」と言ったとされる発言を指すものと思われる。ただしこれは口頭であり公文書として残っていないので、西側は公式なものとは認めない態度をとっている。)
アメリカ国務省情報官アンジェラ・スラント「プーチンがアメリカに求めたのは、EUやNATOがロシア国境付近まで拡大しないことであった。それが得られなかったとき、プーチンの姿が出たのである」
その結果が2008年8月のジョージア侵攻であった。
この時点では、ウクライナに対してはいきなり侵攻ではなく、ガス供給停止、価格変更(対EU並み価格へ値上げ)などで牽制をしている。その後、親ロシア派の大統領がマイダン革命で追われると、クリミアを併合した。
『混迷の世紀』では、フランス・ミッテラン政権の外務大臣であったエベール・ヴェドリーヌが次のように語っている。
「アメリカがロシアを追い詰めた。旧ソビエトが崩壊した1992年から西側、特にアメリカはロシアに対して勝手気ままで高慢で不遜な態度をとっていた。
2008年NATO首脳会議でブッシュは、ウクライナのNATO加盟を希望することを歓迎すると述べた。この決定は最悪中の最悪だと考えている。ウクライナがNATOに入る適性があるということは、ロシアに対する挑発だ。しかし、すぐではないよと言った。これではウクライナは保護はされない。ロシアという牛の前で赤い布を振るようなものだ。全く愚かな決定だった。加盟させるのかしないのか、はっきり決めるべきであった。あるいはウクライナを中立化したならばクリミアへの侵攻はなかったと思う。」
「侵攻を止めるには、冷戦期の対話に学べ。今は妙に思えようとも、西側の指導者たちはいつかロシアと向き合わなければならない。プーチンのロシアではないかもしれないが、ロシアを完全に排除することはできない。冷戦時代、互いに敵のせん滅を狙っていた時代ですらアメリカの指導者は旧ソビエトに逃げ道を残していたのだ。冷戦期の最悪のときでさえ、西側の指導者は『価値観の違う指導者とは話はできない』とは言わなかった。『価値観の戦い』とは決して言わなかったのだ。揺るぎない姿勢と強い責任感を持って対応し、成功した。」(強調は引用者)
1985年、レーガンはゴルバチョフとの会談(中距離核軍縮)にあたって、身内の事前打ち合わせ会議で「決して我々が(冷戦に)勝った」ということは言わないようにと念を押した。父ブッシュの補佐官であったスコウクロフトは2008年、「子ブッシュはNATO(の拡大)に重点をおきすぎた」と批判している。このように、クリントン、子ブッシュ以前のアメリカはロシアに対して自制的であったのである。
上記「アメリカがロシアを追い詰めた」と言うヴェドリーヌは、子ブッシュのイラク戦争に反対している。アメリカの傲慢な独善主義には一定の距離をおいている点でフランスは一貫しているのである。一方、日本はイラク戦争に賛成した。アメリカは、反米のフセイン政権を倒すために証拠を捏造してまで一方的にイラクに侵攻した。プーチンは、親米派の政権を倒すためにウクライナに侵攻した。
気に入らない政権を排除するために他国に一方的に侵攻したアメリカには賛成し、ロシアには反対する。この矛盾を認識している日本人はどれだけいるのだろうか。イラク戦争を支持し、その無差別空爆などで犠牲になった15万人の民間人(WHOの調査。JHU調査では60万人*)に無関心であった者がウクライナの市民の死に同情するこの二面性、日ごろリッパなことを言っている我われの正義感とは、所詮その程度ということだ。
冒頭のミリー統合参謀議長は、「遅かれ早かれどこかの時点で事態を収束させるため、交渉を行う必要がある」と述べ、最終的に外交を通じ解決する必要があるという認識を示した(NHK)。ここでも戦争に気をはやるのは、軍人よりむしろ文人政治家であることが表れている。しかし、東部4州を死守したいロシアとクリミアまで奪回するというウクライナの間で、意地の張り合いとなった戦いを収束させることは至難だろう。
*JHU:ジョンズ・ホプキンス大学
*リンク:「国民を犠牲にする政治とは」
画像:NHKテレビ
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by rakuseijin653
| 2023-02-01 07:00
| 政治
|
Comments(2)
Commented
at 2023-02-25 11:40
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
rakuseijin653 at 2023-03-19 14:37
かくびんたさん
コメント、ありがとうございます。
また返事が遅れてすみません。どういうわけか、いつも画面に表示される”通知”がありませんでした。
中国の和平への提案をアメリカはメンツ上、ケチをつけていますが、従来から中国との関係があるウクライナのゼレンスキーは習近平と話をしてもいいようなことが伝えられていますね。どうなりますか?
一昨年10月、熊高を尋ねました。ウイルス感染対応中で、建物の中には入れませんでしたが。周囲はバス通りの道が広くなっているなど昔の面影はありませんでした。
コメント、ありがとうございます。
また返事が遅れてすみません。どういうわけか、いつも画面に表示される”通知”がありませんでした。
中国の和平への提案をアメリカはメンツ上、ケチをつけていますが、従来から中国との関係があるウクライナのゼレンスキーは習近平と話をしてもいいようなことが伝えられていますね。どうなりますか?
一昨年10月、熊高を尋ねました。ウイルス感染対応中で、建物の中には入れませんでしたが。周囲はバス通りの道が広くなっているなど昔の面影はありませんでした。
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