先に成立した「安全保障関連」の法律を子細に読んだわけでもなく、テレビの国会中継もほとんど聴いていないので、安保法について語る資格はないと自認している。だから以下は、メディアや月刊誌などの情報による、聞きかじりの安保論のそしりは免れない。
そもそも安保法を論じる以前に、戦後民主制議会政治において、これほどいい加減な政権は前代未聞だ。
○安倍首相は、
*集団的自衛権は違憲としてきた法制局長官を更迭し、首相に追従する外務省出身者を長官に任命した(13年8月。その後体調不良で退任)
*集団的自衛権は違憲としてきた憲法解釈を変え、これを認める閣議決定をした(14年7月)
*国会で立憲主義の意味を問われ、「王政時代に王権をしばるためのもの」と答弁
*国会審議が始まる前の5月にアメリカの議会で、夏までに安保法制を成立させると約束
*集団的自衛権は、アメリカ艦船による邦人救出を援護するためとか、海外派兵はホルムス海峡の地雷除去のためとか虚言を弄し、後に撤回した
○東大法学部卒の礒崎首相補佐官は講演で、集団的自衛権は違憲との批判に対し、安保法制の「法の安定性は関係ない」と発言
○弁護士の資格をもつ高村副総裁は、米軍基地の存在を合憲とした最高裁判所、砂川判決を根拠に、集団的自衛権も合憲と主張
○国会公聴会で自民党推薦を含む3人の学者が集団的自衛権は違憲と断じ、全国の学者171名も安保関連法反対の声明を出したが、安倍首相や高村副総裁は「学者が政治を行うわけではない」と一蹴
○元最高裁長官や判事、元内閣法制局長官が、集団的自衛権は違憲とした発言を、首相や官房長官は「一民間人の発言」として無視
○衆議院浜田委員長、参議院鴻池委員長はともに、「11の法案をまとめて審議することはどうかと思う」と発言
○自衛隊河野統合幕僚長が14年12月、「安保法制」は15年夏までに整備されるとしてワシントンでアメリカ軍幹部と協議していたことが判明(15年9月)
○参議院委員会で、与党議員が委員長を囲み野党議員との騒乱のなかで委員長の採決の声は聞き取れず、速記録には「採決した」と記載されていない
○集団的自衛権を認めた閣議決定に至る議論が、公文書として残されていないことが判明(15年10月)
以上から、安倍政権が考えていることは、「集団的自衛権容認ありき」で、国会審議を含め法律上の手続きなどどうでもよいということが分かる。政治の劣化、極まれりである。
そのようにして成立した法律の柱は、集団的自衛権により「抑止力」を高め、「海外派兵」を可能とするものである。
「抑止」は北朝鮮のミサイル攻撃と中国からの尖閣諸島防衛を想定しているという議論があるが、これは集団的自衛権ではなく個別的自衛権で対処すべきことである。この点は国会でもしばしば混同して議論された。巷でもそのように峻別せずに誤解している向きが多い。
安倍首相が意図する抑止とは、中国による南沙諸島の領土化をアメリカとともに牽制することにある。確かに中国は、口では覇権を求めないと言いながら、アジアの覇権を狙っていることは間違いない。彼らは、アヘン戦争(1840~42年)から日中戦争勝利(1945年)まで100年以上、西欧や日本に自国を蹂躙された恨みがある。その屈辱をバネに明時代までの2000年にわたる大国の復権を目指しているのだ。だからと言って、日本の艦船が南沙諸島まで出ていけば、中国はそれを口実として艦船による尖閣諸島への干渉介入を強める。日中の摩擦が大きくなるのは必至だ。
グローバル時代の中でも日中両国は、経済的に相互不可分の関係にある。戦争状態になればどちらが困る、という話ではない。経済が資本主義化している中国は、時間はかかろうとも、いずれ、共産党独裁政治との矛盾につきあたる。日本は無用な挑発を避け、逆に関係を深めていくことが「抑止力」を高めることになり、迂遠ではあるが彼の国を民主化に導くことになる、と考える。
外務省アジア太平洋局長などを歴任した田中均氏も、次のように言っている(朝日新聞「耕論」11月3日)。
「日本も米国のように自衛隊の艦船を(南沙諸島の)12カイリに出すべきかといえば、そうは思わない。日本には日本の役割がある。二国間外交の場で、あるいは国際会議などの多国間の場でと、様々なチャンネルを通じて国際社会の世論をつくっていき、国際社会として中国にプレッシャーを与えることである」
「ここで重要なことは『中国を敵視すればよい』ということではないという点である。つねに対話をして相手が日本の意見を聞くという状況をつくらなければならない。環境やエネルギー、偶発的事故を防ぐ信頼醸成、東アジア地域協力など様々な分野で協力を深めていく必要がある」
こういう論議に対して、安倍流の自己中心的強硬外交を支持する者は、「生ぬるい」と言うに違いない。だがしかし、中国に対して敵対的言動をすれば、上に記した歴史経過もあり、中国に武力的威嚇を促すだけである。中国に対しては威圧的態度に出れば優位に立てるというものではない。逆に友好的態度のみに徹すれば、中国は増長するだろう。それらのどちらでもない道、毅然たる自衛力を備えた上で対話をする関係にすべきである。そのために相互信頼がなければならない。
上記の田中均は「ここ数年、日中関係が冷え込み、こうした(協力を深める)機会が失われていることは残念である」と結んでいる。中国侵略を否定し、靖国神社参拝に執着し続け、骨の髄まで“歴史改ざん”主義に自らを取り込む安倍首相では、対話の前提となる相手国との信頼醸成は不可能である。
俳人金子兜太揮毫による「アベ政治を許さない」の意味も、単に安保法制に反対と言っているのではなく、強権政治を行う安倍首相そのものの存在を否定するものと捉えるべきであろう。安倍政権が続く限り、国は危うい道を進む。
「海外派兵」とは端的に言えば、アメリカの戦争に加担することであるが、別稿に改める。
安全保障関連法可決?(9月17日参議院特別委員会)
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