戦争に協力した仏徒(2) |
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2022年 11月 01日
(前稿より続く) 日本が太平洋戦争に突き進んで東南アジアを占領すると陸軍は、現地の統治に宗教者を動員していった。仏教各派がますます戦争に協力していく体制が進められたのである。各宗派が戦争に協力したことを過ちとして懺悔したのは、敗戦から42年後のことである。 陸軍は占領した東南アジアで、イギリスの思想や抗日勢力を抑え込むため浄土真宗、真言宗、日蓮宗、曹洞宗仏教各派の僧侶を、陸軍を補佐する司政官に任命して現地に派遣した。東南アジア諸国の宗教は仏教、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教など多様であり、軍人、文人だけでは対応できないところがあったからである。僧侶は宗教対策だけでなく、若者に日本語を共通語とする日本式教育を徹底した。軍政を支える人材の育成を目的にしたのである。 一方国内では天皇の命令である国策としての戦争に、「帝国臣民としての義務を尽くすのは仏教者、念仏者の本分だ」として戦争に加担して行った。真言宗本願寺派では報国団を結成し、組織として積極的に門徒の士気を鼓舞した。軍需物資が欠乏すると、報国団が中心となり軍の『金属回収命令』の下、寺院の梵鐘や仏具の回収にあたった。 広島県三次市の西善寺(浄土真宗本願寺派)には、15代住職小武憲正が門徒に呼びかけた法話ノート2冊が残っている。 「天皇陛下のご恩を忘れたら人間ではありません。ひいては真宗の信徒でもありません。屍の山を何無と越え、滾(たぎ)る血の河を阿弥陀仏進み渡るは念仏の道場、上官の命令は直ちに天皇陛下のご命令として絶対服従、身体は国家に捧げるもの、大和桜の花と散る。親鸞聖人のご信仰と一所に勇ましく戦う戦場の勇士、これほどきびきびした大事業がありましょうか。国家の御ため、国民のため念仏を申し上げて各自の本分を尽くさせていただきましょう。」 2022年7月、孫の17代住職小武正教は門徒を前に、祖父の法話(上記)を披露し謝罪した。 「浄土真宗の御信心が、死んで行くための切符になってしまって誠に申し訳ない」 「戦死ということを称え、慰めるだけでなく称え、その後の私も続いていかねばならないというご法話であるように思う。」 「(広島に原爆投下されて敗戦を迎え)天地がひっくり返ったとき、祖父は苦悩したと思いたい。この法話について祖父が、親鸞の教えを十分に伝えていなかったという(反省の)言葉を探したが、見つからなかった。申し訳ないと謝らせていただき、口で言うだけでなく同じことをくり返さないための歩みを共にさせていただきたいというお願いとして、ここに立させていただきました。」 敗戦から42年の1987年4月、真宗大谷派は戦争協力を自己批判した。 門主大谷光真「宗祖の教えに背き、仏法の名において戦争に積極的に協力して行った過去の事実を、仏祖の御前に慙愧せずにはおられません。 戦争中、寺院や門徒に戦争協力の方針を伝えた当時の門主の消息(門主から門徒への手紙)を今後はよりどころにしないことを決定した。」 1995年、全戦没者追悼法要を行い、毎年、満州事変が起きた9月18日に全戦没者追悼法要を行っている。 石上智康浄土真宗本願寺派総長 「アジア地域への侵略行為を行った戦争に協力するものであった事実がある。この事実を認めあらゆる命を尊ぶ教団として、二度と戦争中に出された消息を依用(えよう)しない。」(強調は引用者) 番組は、西善寺17代住職小武正教の「人間は、そんなに強くない。状況の中で流されるという怖さ。戦前のそうした僧侶の姿から学ぶことです。二度とそういうことを僧侶が言っては裏切りですから。門徒さんへの裏切りであると同時に、私が衣を着ていることへの裏切りです。」という言葉と、同じ過ちを繰り返さないために僧侶として何ができるのかを自らに問いかけ、広島市の街頭でミャンマーやウクライナの平和を訴える姿で終わる。 今年は、4年ごとのサッカーのワールドカップ大会が開催される。太平洋戦争はそれより短いわずか3年9か月である。その間宗教界は、天皇を現人神とする国家神道に従属した。「天皇陛下のご恩を忘れたら人間ではありません」と言って送り出され、戦禍にみまわれた軍民の死者は310万人。 そこには、南太平洋の海で藻屑と消え、ガダルカナル島、インパールで飢え死にした幾万の兵士、山下少尉(下の画像)のように20歳前後で特攻隊として自爆攻撃した幾千の若者、サイパン島のバンザイクリフから身を投じた女性や子供、上官がとるべき責任を負わされて断頭台に消えたBC級戦犯、そして沖縄のガマで、満州の逃避行で母親に殺害された稚児、全国各都市への空襲で犠牲になり広島、長崎で原爆死した幾10万の無辜の市民の命があった。しかし最高統治者は、結果として臣民をこれだけ残酷な死に至らしめた事実を前に道義的責任をとることもなく、天命を全うした。 一部の戦後世代には「戦争責任は軍だけではなく国民にもある」と言う者がいるが、その言説がいかに浅薄、単純なものであるか分かるだろうか。 *石原莞爾『最終戦争論』 「人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。最終戦争即ち王道・覇道の決勝戦は結局、天皇を信仰するものと然らざるものの決勝戦であり、具体的には天皇が世界の天皇とならせられるか、西洋の大統領が世界の指導者となるかを決定するところの、人類歴史の中で空前絶後の大事件である。」(Wikipedia『国家神道』よりコピー) #
by rakuseijin653
| 2022-11-01 07:46
| 戦争
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2022年 10月 01日
日清戦争以来、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争と戦場に赴いた僧侶たちがいた。
本来は、欧米の従軍牧師と同じように戦死した兵士を弔うためである。しかし現人神天皇が統治する日本では、勅命により始められた戦争には仏教界も積極的に協力していた。日露戦争時真言宗大谷派は戦争に加担し、宗報で「帝国臣民としての義務を尽くすのは念仏者の本分だ」と鼓舞した。(NHK『心の時代』2022年9月24日) 日中戦争では仏教界がさらに軍の機構に絡めとられ、中国人への宣撫工作も行った。以下は、NHK『戦禍の中の僧侶たち』(2022年8月20日)からの概要。 ≪盧溝橋事件をきっかに始まった日中戦争勃発の昭和12年(1937年)7月、政府は各宗派に「時局を認識し、一致協力するよう」との要請を出した。これに応じ、浄土真宗本願寺派でも中国全土に出張所を開設していった。陸軍特務機関の下に置かれた南京仏学院では、14歳から25歳の中国の若者に「東洋人の信仰を統一、東亜新秩序建設」のための教育をした。その中で、学生の一人が抗日を理由に日本軍に逮捕されるという事件も起きた。 中国の仏教界では、どうすれば中国を守れるのか、について繰り返し話し合われた。戦前、日本の僧侶たちと交流のあった中国の僧侶大虚は日本の仏教界に、「戦争を止めるよう(日本軍に)訴えてほしい」とくり返し呼びかけた。「諸君は、真に仏菩薩の教えを奉行する者だろうか。このことは、諸君が軍閥の非法な行動を制止できるか否かで決まる。仏教徒同胞よ、起て!」と。 度々届く中国の僧侶からの呼びかけに、日本の仏教界は声明を出した。「中国仏教界に反省を促す。この戦争は、共に共産党などの勢力を駆逐するものであり、多くを生かすために少を殺すことはやむを得ない」という『一殺多生』の精神にかなったものだと主張した。 失望する中国の僧侶たちに追い打ちをかけるように昭和14年、大虚と同様、日本に呼びかけていた僧侶円瑛を突然陸軍憲兵隊が連行するという事件が起きる。彼らは円瑛にピストルを突き付け、『抗日法師だから逮捕する』と言い、後ろ手にロープで縛り上げて高く吊り上げ、ロープを離して落とすという激しい拷問を加え、毎晩、自分の罪犯を書かせた。しかし円瑛は、3週間断食して抗議した。こうして中国と日本の交流は途絶えていった。 昭和15年4月に施行された宗教団体法で『臣民たるの義務に背くときは業務を停止』と定めた。これにより宗教団体の認可を取り消すなど戦争に協力を求める政府の統制は、全国の門徒に広がった。本願寺派の長である門主が、『真俗二諦』の教えを全国の門徒に伝えた。親鸞の阿弥陀仏の教え守ることを真諦とし、社会秩序に順応する在り方、国家に従うことが俗諦とするものである。天皇が治める皇国では、国への貢献、国の下での社会への貢献をしていくことが、この世の在り方として望ましいとされたのである。≫(強調は引用者) 命を取ってはならぬ、命を取らしめてはならぬという慈悲が戒律である仏教も、天皇統治に従うことが絶対であった明治憲法下では、命を取り合う戦争に協力することが「善」とされたのだ。その論理は、太平洋戦争でさらに深まっていく。(次稿へ続く) *福島県喜多方市の西光寺住職上野覚雄の『日中戦争従軍日記』(同番組より) 「毎日、弾丸雨飛の間を出動、激励と戦死者の慰霊 弾丸運びを手伝う 死体収容を手伝う」 上海の北の20キロ戦場 戦死者600人超 負傷者1000人 連隊の大半を失った戦場で上野は、斃れた兵士の弔いに189の俳句を残している。 「秋の山 夕陽の煙の淋しさよ 口々に罵りながら捕虜兵を取り囲み殺さんとする クリークの水際に倒れし支那兵の屍に 哀れ夕陽くれしぬ」 *参考:「真俗二諦論とは」 明治二十三年に発布された『教育勅語』は昭和二十年八月十五日の敗戦の日まで、日本国民のすべてがふみおこなうべき道徳規範として、絶対的なものでありました。その内容は、天皇(当時は現人神といった)は徳高く、国民は天皇の臣民である国民は、天皇に対して忠、親に対しては孝という「忠孝の道」こそ、人間の最高の生き方であると教えるものであります。すなわち「古今に通じてあやまらず、中外にほどこしてもとまらず」として、いつの時代、どの地域の人間にとっても、「忠孝の道」こそ、真理であると説いたのが、『教育勅語』であります。 この真理とは、仏教でいう諦と言うことですから、「真俗二諦論」とは、お浄土に生まれるのはご信心、この世を生きるのは『教育勅語』という教義理解なのです。もっといいますと、お浄土に生まれるということに関しては、阿弥陀如来のみ教えに従い、この世を生きることに関しては、天皇に従えと教えるのが「真俗二諦論」であります。(Q&A (fuchu.jp)よりコピー) 画像:NHKテレビ #
by rakuseijin653
| 2022-10-01 08:00
| 戦争
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2022年 09月 01日
77年前の1945年9月2日、東京湾に停泊するアメリカ軍戦艦ミズーリ―号上で日本軍の連合国に対する降伏文書が署名された。14年前に水野広徳が「軍閥が国を滅ぼす」と予言したその日を迎えたのである。
国を滅ぼした軍閥の暴走は、1928年の張作霖爆殺から31年の満州事変を機に加速していくが、それより以前の1920年、政友会原内閣の蔵相高橋是清は参謀本部廃止論を説き、21年には中国駐屯の日本軍撤兵を主張している。以下、引用は坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書)より。強調は引用者。 「その根本更革の大要は、支那及び列強誤解の原因となりたる駐屯軍の如きは、支那との諒解の下に速やかに撤退し、また各地の軍事的施設もまた速やかに撤退し、山東においても満蒙においても、いやしくも領土的侵略的野心の発露と誤解せられし政策及び施設は、断然更改するを急務とす」 時代の背景としては、日露戦争後中国での利権拡大をもくろむ日本に、欧米列強が警戒を強めていたことがある。その結果として22年には日本を含む9ヵ国によって、「中国の主権と領土を保全、内政不干渉」が条文化された。しかし1927年、退役陸軍大将田中義一が同じ政友会内閣の首相になると、「資源確保のために満蒙特殊地域を武力をもっても擁護する」という政策に180度転換する。これが陸軍強硬論者を鼓舞し、28年3月、陸軍内の佐官級会合で東条英機中佐が提案した「帝国自存のため満蒙に完全なる政治的権力を確立する」ことが決議された。陸軍関東軍によって張作霖爆殺が実行されたのは、その3か月後である。それが満州事変に発展すると水野は、「軍閥が国を滅ぼす」と警鐘を鳴らした。 そもそも第一条に「大日本帝国 ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めた大日本帝国憲法下の統治機構では、欧米のように「政治」が「軍事」を統制する組織(文民統制)になっていない。第11条では天皇のみが軍事を統治する権限をもっており、政治(内閣)も軍部(陸軍参謀本部・海軍軍令部)も天皇に直結、両者(内閣と軍部)の関係は対等であった。陸軍は、自分たちの政策を受け入れない政府には陸軍大臣を出さないことで、組閣を妨害した。 政治を統治する天皇と軍部を統治する天皇は、天皇という身分によってその地位にあるだけで(ご進講は受けても)政治学も軍事学も学んでいない。昭和天皇が(皇太子として)摂政に就いたのは20歳のときで、実体験もないいわば素人であり、「政治」の言うことより「軍」の言うことに引きずられ結果的に軍(陸軍)の言いなりになった。その過程で原敬や浜口雄幸、高橋是清などの国際協調派の首相は、暴漢または青年将校に殺害された。天皇は「政治」を守ることができなかったのである。こうして軍部(軍閥)が政治をのっとり、国を滅ぼしたということになる。 戦後の日本は文民統制になった。これにより軍(自衛隊)が独走することはなくなったと言えるが、しからば文民(政治家)が軍を統制する組織になれば戦争のリスクは小さくなるだろうか。近年の日米を見ると、戦争をしたいのはむしろ文民ではないかと思うところがある。 父ブッシュ大統領が始めた湾岸戦争では、当時のパウエル統合参謀本部議長は最後まで開戦に反対していた。彼は、ベトナム戦争に二度従軍しており、その体験から兵士を犠牲にする戦争に慎重であった。(その彼が息子ブッシュ政権の国務長官になるや、イラク戦争に賛成しているのだが。彼は後にそのことを後悔している。) 本年8月、アメリカ下院のペロシ議長が台湾を訪問した。中国は事前に強く反対を表明し、バイデン大統領も、「軍は良いとは考えていない」と言及していたなかで、わざわざ台湾海峡を挟んだ緊張を高める行動をとった。 ペロシ訪台を尾上定正自衛隊元空将は「台湾に対して米国が関与のメッセージを示したことは、政治的に意味があったのだろう。しかし、軍事的に評価すれば、はるかにマイナスの方が大きい。今後は中国が、台湾を囲んだ演習を常態化させる恐れがある」と述べている(朝日新聞8月6日)。 昨年12月には安倍晋三が、「台湾の有事は日本の有事」という発言をした。アメリカの(台湾防衛)戦争に日本が参加することを示唆するようなことを言って、あえて中国を刺激することもあるまいと思う。 こうしてみると、アメリカにしても日本にしても、軍人の方が抑制的なのである。現代では戦争の危機を招くのは軍人ではなく、文民(政治家)であるとの感を強く持つ。 *リンク:「水野広徳の予見」 ~ ~ ~ ~ ~ ~
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by rakuseijin653
| 2022-09-01 07:59
| 歴史
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2022年 08月 01日
想田和弘(映画監督・1970~)はツイッターで、元首相殺害者を「山上氏」と呼び、中島岳志(東工大教授・政治学・1975~)は秋葉原無差別殺人者に「加藤君」と呼びかける(朝日新聞インタビュー・7月27日)。
想田があえて容疑者と言わず、一審公判の大半を傍聴した加藤死刑囚に中島が犯罪者と規定する言葉を使わないのは、決して二人の殺人者を擁護しているからではなく、彼らが追いつめられるまでの状況を放置してきた我われ社会に、より問題があると捉えているからである。
元首相殺害について言えば、我われ社会が民主的な手法で彼を政治の表から退場させることができていれば、悲劇は起きなかったであろう。一人の男性を殺人者にすることもなかったでろう。今回の事件は、反社会的宗教団体と政治家との癒着を我々が放置してきた結果である。 殺人を犯した男性は、信者である母親の統一教会への一億円もの献金のため生活が破たんし、少年期から食べるものにもこと欠き進学の道を絶たれ、20年以上も苦悶しつづけ追いつめられていた。統一教会の霊感商法や強制的献金で信者が生活を破たんした被害額は、30年間で1200億円、直近5年間でも500件、54億円になる。政治家が教会の行事で教祖を礼賛して広告塔となり、代わりに選挙で組織票をもらうという癒着は一時期報道されたものの、30年前ごろからメデイアの追及がなされなくなった。前参議院議員で長年統一教会問題を追及してきた有田芳生は、そこには政治の圧力があったとテレビで証言している。 その中にあっても全国霊感商法対策弁護士連絡会(1987年結成)は、政治家に対して再三統一教会との関係を絶つよう要望していた。以下は、同弁護士会のサイト「公開抗議文・安倍晋三先生へ」(2021年9月)より一部引用。 ●(政治家は)旧統一教会やその正体を隠した各種イベントに参加したり、賛同メッセージを送らないで下さい。 ●各種の公職選挙法で定める選挙に旧統一教会信者らの支援を受けないで下さい。結果として信者らの反社会的行動をあおることになります。 安倍先生が、日本国内で多くの市民に深刻な被害をもたらし、家庭崩壊、人生破壊を生じさせてきた統一教会の現教祖である韓鶴子総裁(文鮮明前教祖の未亡人)を始めとしてUPFつまり統一教会の幹部・関係者に対し、「敬意を表します」と述べたことが、今後日本社会に深刻な悪影響をもたらすことを是非ご認識いただきたいと存じます。 この弁護士連絡会は、政治家が統一教会との関係を絶つよう、何年も前から訴えていたのだが、主として自民党議員、その中でも多数を占める安倍派の政治家は無視してきた。メディアもそのことを報ぜず、したがって我われも実態を知らず、これほど深刻な問題であるにもかかわらず、世間の目から潜ったまま時は過ぎたのである。 だから安倍一派は、世の中何でも自分が思う通りに出来る、と確信したのであろう。安倍政権(官僚を含む)は森友学園疑惑で139回の虚偽答弁をし、それによって自殺者が出ても平然としていた。桜を見る会疑惑は安倍晋三が118回もの虚偽答弁し通した。国民は舐められていたのだが、民意はそういう首相と彼が率いる政権を支持し続けた。 世論調査では「モリカケ、桜を観る会」などの説明は十分ではないという答えが多数なのだから、「自民党は支持するが安倍内閣は支持しない」というのがあるべき良識だと思うが、その内閣の支持率はいつも多数を示してきた。そして選挙でもそういう政権を擁する自民党が多数票を得てきた。ところが今回の事件をきっかけに、ここでも統一教会の組織票が各候補に配分されていることがわかった。伊達前参議院議長が7月28日、「安倍首相が統一教会の票を各候補に配分していた」と公言したのである。 これほど世間に明らかにされた政治家と反社会的団体との癒着を、我々は民主的手法で浄化できるだろうか。自民党議員のとぼけた対応、テレビコメンテーターたち(元新聞記者、学者、元アナウンサーら)の故意に本質をはずした自民党擁護論、NHKや一部メディアの忖度報道をみていると、必ずしも楽観できない。ジャーナリストがどこまで本分を発揮するか、選挙に参加しない、声なき大衆が目覚めて声をあげるかどうか、民度が試されよう。それは、取りも直さず民主主義の成熟度に帰結する。 この安倍晋三を国葬にするという。彼は教会の複数の行事にメッセージを送り、機関誌の表紙に6回登場している。国民の財産を護るべき政治家のトップであり、自民党改憲案に「家族は助け合わばければならない」とうたう総裁が、その財産を収奪し家庭を崩壊させる団体の広告塔になっていた。その一点で国葬は不適合である。 *旧統一教会については、今回の事件をきっかけに信じられないような実態が明らかになった(例えば2022年7月22日BSTBS『報道1930』。韓国語版の経典(天聖経)に、「植民地支配された日本への報復」とある)。 ~ ~ ~ ~ ~ ~ #
by rakuseijin653
| 2022-08-01 08:03
| 政治
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2022年 07月 01日
今年は、1972年4月27日の沖縄復帰から50周年。それを祝福するような報道の裏に、77年前の同じ時期、本土防衛の盾となって戦を強いられていた沖縄に思いをはせた日本人はどれだけいただろう。
米軍が沖縄への総力攻撃を始めた1945年4月、最後の特攻隊として地獄の戦場へ向かっていた若い兵士たちがいた。その中に、出撃わずか1か月前の2月28日に、にわか仕立てのパイロットとして編成された陸軍特攻『誠』隊があった。特攻隊員を訓練した教官野村潔陸軍中尉(27歳)、『誠隊』の隊長として11人の部下を率いて出撃した小林少尉(23歳)が心情切々たる手記を遺している。以下、NHKテレビ『特攻・知られざる真実』(2021年8月15日放送)から。 教官野村中尉の手記 「隊員たちが初めて特攻を告げられた時の日のこと、私は、彼らの顔を見て居た。さすがに青冷めて緊張して居た。この死の宣告に、小刻みに震える彼らが可哀そうであった。その日の夕食、彼らの多くが箸に手をつけられなかった。まるでお通夜の様に皆物思いに耽っていた。食事をとる気もないのだろう。その時点の彼らは死と対峙し、只孤独で有った。特攻要員は嫌とすれば逃亡以外に術はない。もちろん軍刑に依って裁かれ不名誉な事だ」 「(訓練は敵艦に体当たりするため)急降下水平飛行、超低空水平攻撃という高度な技術を要するもので、到底ムチャクチャナ操作に搭乗者は耐えられるものではない。1カ月の短期で習得は無理。命のあるかぎり反復攻撃をさせたほうが戦果が期待でき、志気も上がるのに、これでは単なる気休めで有り国民に対して死力を尽くしてゐると言う宣伝の自己満足に過ぎない」 『誠隊』隊長小林少尉の手記。 「行かば断じて還らざる12の命なれば、下士官の中、未だに心定かならざる者あり。これを喜びて死地に赴かしむるのも余の責任にある」 「すべては捨つる時なり。音楽も愛情も友情も、今は要なし」 小林少尉が出撃の前に故郷水戸に帰って母に会った後の歌、 死出の道と知りても 母は笑顔にて送りてくれぬ 吾 故郷を去る日 3月20日出陣式、4月6日出撃 野村中尉の手記 「小林少尉に私は、『許せ』となんども心に詫びた。 『体に気をつけて元気で有ってほしい』と言って絶句した。彼等の生命は既に抜き差しできない数日に迫っているのだ。死を前提とした残酷な作戦、その意味はあるのかと自問した」 「小林少尉は、『教官殿も元気で。あとの日本をよろしくお願いします』とはっきり述べた」(強調は引用者) 小林は兵役前は商社員であり、他には映画会社員、民間パイロットを目指していた者などがいた。かくして野村中尉のもとで訓練を受けた彼らの運命は36人中29人戦死、訓練中事故死3、不時着4であった。 *沖縄戦全体の特攻による戦死者は2,600 文字通り”捨て鉢”の特攻で若い命を無駄にしたにもかかわらず、軍の幹部には〝例によって”反省の言葉はない。陸軍参謀本部田中耕二中佐(戦後、航空自衛隊)は戦後25年、新聞のインタビューに答えている。 「特攻は現場の発案で始まった。現実に特攻でなく攻撃しても、もうやられる。数の差と技量の差と性能の差と量の差というものがあって、結果的に撃ち落されるというか、生還できないようならば初めから要するに特攻隊で行くほうが張り合いがあるという、語弊があるがそういう空気は現場にあった」 「功罪を言っては悪いが、特攻の方が効率が多いのではなかっただろうかという感じを私はもっている。特攻は要するに大きな戦果を挙げているというふうに了解している」(原音は「です・ます」*強調は引用者) 特攻という自爆作戦が対米戦全体に全く無意味であったにもかかわらず、戦後25年を経てなお「大きな戦果を挙げた」と特攻作戦を正当化する言葉に唖然とする。あの戦争がいかに間違ったものであったか、そのために兵士が無駄死にして行ったか、一片の反省があってもよかろう。しかし彼らは間違った事を認めない。これが現在にも共通する官僚の本性である。 出撃前に敗戦を迎え死を免れた特攻隊員には、生き残ったことを「戦死した戦友に申し訳ない」と負い目を背負って戦後をひそやかに生き続けた人も少なくない。これに対して、結果的ではなく初めから死を前提にした作戦を強いたことを省みない軍幹部。あまりにも人間性が違いすぎないか。 ~ ~ ~ ~ ~ ~ #
by rakuseijin653
| 2022-07-01 17:04
| 戦争
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